2022年7月13日にご紹介させていただくのは、ブロガーとして東京の最先端のファション情報と表参道情報を発信されている西塚麻理子さん。
麻理子さんのSNSアカウントでは、50代女性にとって非常に参考になるファッションコーデネイトが公開されており、その上品かつチャーミングな世界観は必見です。
そんな麻理子さんにファションに関心を持ったきっかけを含めて、ぜひその経歴を教えていただきたく手記をお願いいたしました。
西塚麻理子 TOKYO Fashion Blogger
●経歴
昭和46年(1971)東京生まれ、東京育ち。
慶應義塾大学法学部政治学科卒。
海外好きの両親に連れられ、幼少の頃から海外を旅行し、見聞することが多くありました。
幼いながらにも、日本以外の国が存在し、そこでは別の言語でないとコミュニケーションができないことを経験したことが後に外国語を学んだり、異文化を楽しむ、という姿勢につながった気がします。
父は2度の海外赴任をし、私は教育のために、日本を離れることはなかったのですが、学校の長期休みは海外で過ごしていました。
日本にはない素晴らしいものを知り、楽しむとともに、逆に外に出て初めて気が付く日本ならではの素晴らしさを見直す機会に恵まれたと思っています。
小学校から高校までは、今年、悠仁さまが高校にご入学されたことで知られる筑波大学附属に通いました。
筑波大附属の小学校は、早朝からマラソンに縄跳び、遠泳に登山と、ともかく体を鍛える教育方針で、私も運動ばかりしていた記憶がありますが、この小学校時代に最後まで諦めない不屈の精神を身に着けたように思います。
私が大好きなスタイリストの大草直子さんは、小学校から高校まで同窓と知り、いつかお会いする機会があったらいいなーと思っています。
大草さんもどこかでお話されていたと思いますが、高校は自由な校風で、私服通学であり、服装にも特に制限がありませんでした。
当時はDCブランドブーム。そこで、毎日おしゃれを楽しんでいました。
大学時代には、かけがえのない友人たちに出会えました。夏休みや長期休暇を利用して、アメリカNY、イギリスオックスフォード、フランスパリへ短期留学も経験。
留学中は、ショッピングもたくさんしましたし、アートを見たり、外国人の友人もできて、様々な価値観や考え方に触れることができ、今振り返っても、とても良い時代でしたね。
1993年に卒業後は、株式会社博報堂に入社。思ってもいなかった、外資系企業のクライアントの営業担当に。
ジョンソン・エンド・ジョンソン、ユニリーバなど欧米流のマーケティング・ブランディングの仕事の最先端を経験したこと、外資系企業の仕事の仕方を学んだことが後のキャリアのもととなりました。
その後、リシュモンジャパン・カルティエにてストアプランニング、商品マーケティングを担当。
以後、富裕層ビジネス、マーケティングを専門とし、アメリカン・エキスプレス・インターナショナルでアライアンスビジネス、UBSウェルスマネジメント(いわゆるプライベートバンクで俗にスイス銀行とも呼ばれる)のマーケティング部門で、超富裕層クライアント向けのワイン・アート・ゴルフ・Galaパーティーや金融セミナーなどの企画運営を行っていました。
外資系勤務の約10年間は、「国が違えば常識が違う」ということを数多く経験しました。
例えば、カルティエの本社の人と銀座へ行く際に、地下鉄で行こうとしたら「私に地下鉄に乗れと言うの!!地下鉄になんて乗ったことがない」とお叱りを受けたり。
スイスから来た同僚には、花粉症でマスクをしている人だらけの街を見て「日本はそんなに大気汚染が深刻なのか」と恐れられたり。
UBSでは香港で研修の際に、休み時間にトイレに行ったら女性トイレが故障中で「困ったどうしよう?」と立ちどまっている私をよそ目に他の女性の同僚は何のためらいもなく、男性トイレに入っていく姿を見てあっけに取られたり・・・
異文化が好きな私にとっては、新鮮な経験で刺激に満ちた毎日でした。
結婚を機に、ジュエリーの世界に戻り、AHKAHのPRと海外事業を担当。
仕事は出産後も続けるつもりだったのですが、海外出張に行ったり、責任あるポジションで子育てをしながらのキャリアの継続は難しいと判断し、退社することに。
40歳で授かった子供との時間は大切にしたかったので、子供と過ごしながら仕事をするには、自分で起業すればいいのかな、と思い、自分が好きなことを仕事にしようと、考えました。
妊娠中も日々スタイリストの方や雑誌編集者の方とお会いする仕事だったので、妊娠中であっても変わらずおしゃれをしていたかったので、世界中からおしゃれなマタニティや授乳服をリサーチして個人輸入していたことがヒントとなり、マタニティビジネスにチャンスを見出し、自身のインポートマタニティセレクトショップを開業。
子供との時間を作るため、日中は子供を保育園には預けず、毎夜21時から仕事をスタートして起業し、全てを一人で切り盛りしていました。
新しいワーキングスタイルだと当時は思っていたのですが、今思うとちょっと頑張り過ぎていたかとは思います。
マタニティ服というのは、それぞれの国事情や文化が反映されており、非常に面白さを感じました。
マタニティワンピースは、通常3シーズン着用できるために薄手の洋服が多いのですが、寒いロシアだけは特注でウール素材のものが作られていたりします。
イスラム圏やユダヤ教圏では極力肌の露出を抑えたデザインになりますし、女性の進出が進んでいるシンガポールでは、職場で授乳をすることも一般的なため、授乳服が多く揃っています。また、アメリカでは、妊娠中の方が着られるスーツも多数販売されています。
その後、プライベートでは離婚をすることになり、娘が小学校1年生のタイミングで不安定な自営業よりも、再び会社員に戻ることを決意。
現在は、広告業界に戻って、マーケティング・ブランディング・PRの仕事に携わっています。
個人の仕事としては、2014年からのAllAboutのマタニティガイド、及びAllAboutメディアのイチオシのライターやPanasonic様他、企業の商品レビューやウェブ記事の執筆を行っています。
●これまでうれしかったこと
ずっとブランディングの仕事をしていましたが、既にブランド価値のある企業の一社員として働いていたので、全く無名のゼロの状態から、個人で一つのブランドを作ってブランディングを行うというチャレンジをしてみたかったんです。
自分で立ち上げたマタニティショップが、それなりの成果をあげることができたことはうれしかったです。
ほとんど在宅で仕事をしていましたが、鈴木おさむさんや複数の芸能人の方に購入していたけるショップとなり、プレスルームもないのに、有名スタイリストさんからもリースをしていただいたり、NEWS23の膳場貴子さんに衣装提供でショップのクレジットも全国で流れました。
女性として、新しい働き方を模索していましたが、子供と一緒に過ごしながら起業をしたので、子育ても仕事も悔いなくできたこともうれしかったです。
●人生のピンチ
離婚後に46歳で、会社員として職探しをした際に、子育てとの両立ができるということを条件に考えていましたが、一度子育てで会社を離れた女性が再びキャリアを継続する難しさ、自立して生きていく大変さを感じて愕然としたことです。
40歳まで仕事一筋で過ごしてきて、出産後も仕事の経験も積んでいたつもりだったけれど、世の中の女性の進出が進んだといっても、事務系の仕事では、ワークシェアが進んだ国のように働くことはまだまだ難しいですね。
女性のキャリア形成、特に子育てなどで離職した後に離婚した女性が、再び子育てをしながら、経済的にも安定して暮らしていくには、世の中に課題が多いのだと実感しました。
また、もう一つのピンチは、それまでの無理がたたったのか、せっかく会社員として再就職したのに1年ほどで、病気で1年も休職することとなってしまったこと。
休職中が、コロナ禍と重なり、半年以上ほとんど家から出ない生活で余計に気持ちも内向きになりました。
離婚後は、前向きに一人で頑張っていこうと決意したものの、病気をしてしまったら、仕事もできないのか…。
まずは健康があっての生活なんだ、とそれまで走り続けてきた人生を見つめ直すことに。
その後、そろそろ復職も考えられるタイミングになりましたが、体調はあまり優れない一方で、人生で初めて空白の時間ができて、何となく先が見いだせず、ぼーっとしていた私を心配した母が、デパートに連れ出し、洋服を買ってプレゼントしてくれました。
そこで、単純ですよね、洋服が大好きな私は非常に気分が上がり、では、インスタグラムでファッションコーディネート投稿でもしてみようか、と思いついたのがインスタを始めたきっかけです。
病気休職中に私を支えてくれた家族、友人、そしてインスタを始めた頃に私を励まして下さった方やインスタで仲良く交流して下さる方々には、大変感謝をしています。
仕事に復帰して、以前よりも健康には気を付けるようにしていますけれど、またすっかり全力で走る日々にならないようにしないといけませんね。
●これからの夢や目標
私も人生の挫折を感じて、落ち込んでいた日々もありましたが、気力があれば、再びいろんなことにチャレンジできる、やりたい仕事をして充実した日々を過ごすことができるんだ、と勇気を持ってもらえるような人を目指したいですね。
本業の仕事を頑張るのはもちろん、個人としてはファッションが大好きなので、ファッションに関わる仕事・PRをやっていきたいし、スイーツコンシェルジュもやってみたい。
インフルエンサーとして成長できたら、これまでの富裕層マーケティング経験を活かして、ラグジュアリー分野のPRを行っていくことができたらいいなと思います。
今後は、もっと年を重ねても年齢にとらわれないファッショニスタになってみたいし、日本はまだまだ元気があるんだと、日本人も元気になれるような良質なTOKYO BRANDやJAPAN BRANDをグローバルに紹介する、そんな仕事ができたらいいなと思っています。
麻理子さん、お忙しい中ありがとうございました。
麻理子さんのファッションセンスが光るSNSアカウントはこちらになります。
麻理子さんは複数のウェブサイトのファッション記事にそのコーデを取り上げられています。
またファッションコーディネートサイトの#CBK(カブキ)公式モデルとしても活動しており、ぜひこちらもご参考にしたいところです。
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ファッションはもちろんのこと、自立した女性の代表として50代世代を牽引する麻理子さんの動向にこれからも注目していきたいと思います(50s.online編集部)。
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