正看護師の丸山勝子さんは二度の離婚を経てシングルマザーに。その半生とこれからの目標をお聞きしました。

丸山勝子

丙午生まれの丸山勝子さんは都内の医療機関に勤める正看護師さん。二度の離婚を経てシングルマザーとして子育てに仕事と頑張ってきた勝子さんにこれまでの半生とこれからの目標を教えていただきたく、勝子さんに手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。

丸山勝子

正看護師
シングルマザー

・ミセス京都2022コンテスト特別賞
・ミセス和装美人2022コンテストベスト5
・ミセスメディカルコンテスト2022ファイナリスト
・ミセスインターナショナル&ミズファビュラス2023
 ダイヤモンドクラス準グランプリ

厳格な父親

丙午生まれで仙台出身です。

私は厳格な父親に育てられました。地元ではお嬢様学校と呼ばれている女子校に進学させられ、挨拶は「ごきげんよう」。

当時は携帯電話なんてなかったので、父は私にかかってくる電話は、同級生の女性でもことごとく切って繋いでくれず、20歳になっても門限は21時。

21時過ぎるとバス停に着物を着ている父が仁王立ちして待っていて、遅れたら自宅の鍵をかけて締め出された事もありました。

そんな環境だったこともあり、男性と付き合ったことなんて社会人になるまではありませんでした。

そんな父への反動で、高校を卒業してからはスカウトされてモデルをすることに。

当時はおニャン子クラブが流行っていて、女子大生ブームもあり私も女子大生をやりながら地元のテレビ番組でいわゆるピンポンパンのお姉さん的な事をしたり、アランドロンの着物ショーに出たり、ラジオ番組に出たりして人生で一番輝いていました。

二度の結婚と離婚

23歳で電撃結婚し、地元の新聞にも掲載されました。でも結婚3ヶ月後に義父母公認の浮気相手が複数人いた事を知り愕然。

義母からは、妾の一人や二人囲って何の文句があるかと言われました。

それから3年、子供が出来ましたが生後5ケ月の時、やはり度重なる浮気に耐えられず何も持たずに家を飛び出し離婚。

一ヶ月たたずに体重が出産前より激痩せました。

その後、32歳の時に10歳下の男性と再婚。リーマンショック直後の42歳のある日、彼が会社の女性上司(東大出身の経営陣)と一緒に都内タワマンを借りていた事を知りました。

この時は気づいたら預金通帳全部持っていかれ、海外の銀行へ全て送金されていました。その後、彼は浮気相手と起業。

流石に2回の離婚を経験すると、立ち直るのにかなりの時間がかかりました。

その時、下の娘は当時まだ小学5年生で中学受験の真っ最中。上の娘は高校生で、同じく大学受験を控えていて、それからは暗黒の時代が8年続きました。

この間はシングルマザーとして、ただただひたすらに二人の子育ての為に毎日遅くまで仕事する日々でした。

二度目の離婚の後は、仕事がオペナースだったので、突然の呼び出しで緊急オペもあり家庭と仕事の両立で無我夢中で働きました。

夏休みや冬休みは他の家族のように旅行などできる余裕もなく、どこにも連れて行けませんでしたが、娘たちも何にも言わずに、むしろ我慢の生活でした。

元旦でも帝王切開や交通事故等等の緊急オペが当番制で持ち回りになっており、オンコールの当番の日は、家にいても病院からの呼び出しがあったら30分以内に駆けつけオペに入るという生活でした。

また、夜勤の時は子供だけ家に残して仕事をしていたので、この時はまさに暗黒の時代でした。

転機が訪れたのは50歳の時

夜勤明けで帰宅途中、東京で大雪が降った日の朝、雪で転んで肘を骨折。手術することになりリハビリの為に半年仕事が出来ませんでした。

これまで8年ただただ仕事しかしてこず、自分の事など振り返る時間もありませんでした。

骨折した肘から先がこわばってしまいロックがかかったようになり、手首や指が動かなくなってしまいました。

2度の手術をして、治らないんじゃないかという恐怖と戦い、泣きながらリハビリをしました。

この時は腕が頭まで上がらなかったので、髪の毛を洗うにも片手でないと出来ませんでしたが、半年かけて再手術とリハビリのおかげで次第に指も肘も動く様になりました。

もうそろそろ職場復帰という時、同じ都内に住んでいる妹からランチに誘われました。

東京に住んでいながら生まれて初めて六本木ヒルズに行き、二人で美術館に行ったあとにランチをしました。

その時、妹と私とでは同じ姉妹なのに全く生活環境が違うという事をまざまざと思い知りました。

妹のご主人は国際弁護士で、アメリカから家族で帰国して、子供はアメリカンスクールに入っていました。

食事の時、ここはママ友とよくランチ会で来るのよと話したので驚きました。

こんな素敵な展望があるお店でランチ…、私は病院と家の往復だけの毎日なのに…。

六本木ヒルズのお店に連れて行ってもらい、妹は前から頼んでいたコートを購入。その値段を見てビックリ。私には手が出ない金額で、予想していたものより〇が一桁違う…。

妹は、財布やカバンは〇〇、ハンカチは〇〇、保護者会のスリッパは〇〇、大体、みんな同じブランドを使っているから買うお店も決まってくるのよ、と話すのでびっくりしました。

保護者会のスリッパは一見すると靴に見える一足1万以上のもの…

財布も鞄も〇が一桁違う…

同じ親から生まれて何でこうなってしまったのか…

その日の帰りに自分のこれまでの8年間は何だったのだろうと思い知らされました。

気づいたらもう50歳。

この8年、私は何をしてきたのだろう。
ただ歳を重ねただけで進歩どころか年々、女性としての機能は後退している…

改めて鏡を見ると、疲れた顔をした50歳の自分…

2度の離婚で、私は女性としては認めてもらえないと、自己肯定感は全くのゼロ。

これまでは家と図書館と病院の往復だけの毎日。

休みの日の殆どが看護研究や看護連盟等の研修に明け暮れ、朝から夕方まで専門分野の勉強会、レポート提出と、まるで看護学生の延長の様な毎日でした。

看護師は配属される科が違うと、使う点滴や薬剤、オペ出し前の準備等、全く違う事も多いので新たに勉強し直します。

私は最新の情報を得るために病院外の研修を積極的に受けていました。

これは殆どが自費で支払い参加します。大体1日1万から2万。安い研修だと企業と協賛して5000円というものもあります。

また、看護連盟が主催しているものは無料で受けられますが、コロナ後、リモートのみで行っています。

講師の先生は、その道の現役医師が担当し、臨床の実践編を教えて下さいます。テキストの専門書は高額ですので、本を沢山購入する上位は看護師だと言われています。我が家も本棚は専門書だらけです。

研修から帰ると図書館へ直行。その日学んだ事をノートにまとめたりレポートを作成して閉館時間まで過ごすのが日課でした。

受験生の娘と一緒に図書館で机を並べて、おにぎり持参し閉館時間まで過ごすのが私達親子の日常でした。

たまに花火大会の時などは音が聞こえたりして、それはそれで楽しかったです。

それから4年、下の娘が大学に入学したのを機に私も子育てを卒業。

今思えば、これまでの私はひたすら働いて休みも勉強に打ち込み頭の中をパンパンにする事で

それ以上の事は何も考えずに済む

不安にならなくて済む

余計な事は考えなくていい

と考えていました。

でも骨折して思いがけず半年間のリハビリ生活をすることで自分を振り返り、少しずつ外に目を向けられるようになりました。

これからは自分磨きもしていこう

私は女性として否定されてはいない

もっと自分の事を大切にしよう

初めてそう思うようになりました。

それからはこれまでの引きこもっていた暗黒の8年を払拭するように、自分から積極的に行動することにしました。

職場復帰した後は、看護師仲間と箱根や伊豆などの温泉に行ったり、北海道や九州へ旅行に行ったりするようになりました。

こうして、離婚で壊れていた心が少しずつ元気になりました。

娘が大学卒業の時に着た着物がきっかけで着物友達ができ、そこから京都で開催された着物コンテストに出る事になり56歳の時、ミセス京都コンテストで特別賞、ミセス和装美人コンテストではベスト5に入りました。

その翌年には、ミセスインターナショナル&ミズファビュラス2023で、ダイヤモンドクラスの準グランプリを頂きました。

今現在、新たなミセスコンテストに挑戦中です。

母子で看護師

これまでの人生の中で嬉しかったのは、離婚後、子育てしながら看護師を目指して4年間勉強して正看護師になれたことです。

そして、娘が私と同じ看護師になったことです。お金のかからない公立大学看護学部に入ってくれたのでとても助かりました。

今は某大学附属病院の看護師として日々成長しています。

妊娠4ケ月での腹膜炎

二度の離婚の他に人生のピンチがもう一つあります。

結婚3年目の妊娠4ケ月で盲腸をこじらせて腹膜炎になり手術する事になった時、主治医の先生から母子共に危険な状態と言われた時です。

切迫流産になりかかって自宅安静にしていたのですが、その傷みだと思って我慢していたら実は盲腸の傷みだったのです。

夜中も痛みがおさまらなかったので、翌日の午前中に受診したところ、緊急手術に。

後から先生に「午後に診察に来ていたら君も赤ちゃんもここにはいなかったよ」と言われました。

その子が生後5ケ月の時、一度目の離婚となりました。26歳の時でした。

現在57歳、還暦までに達成したい目標

ミセスコンテストに出て、多くの輝く同世代の女性の方々と知り合えました。

また、自分を顧みるきっかけにもなりました。

今は看護師をしながら自分磨きを頑張っています。仕事とプライベートを両立させながらウォーキングのレッスンに通っています。

7月30日には106人が出場したウォーキングコレクション&ファッションショー「walking create」に参加いたしました。

10月29日には「bjb Collection 2023 Autumn」で石田純一さん、仙道あきほさん等と一緒にランウェイします。

ウォーキングとポージングが素敵な女性になり、現在エントリーしているミセスコンテストのファイナリストとして9月の地方大会を突破し、11月の日本大会でティアラが似合う女性になるのが目標です。

また着物にもハマっていて、ヘアセットから着付けまで全て自分でやれることを目指しています。

納得いく仕上がりでささっと着物でどこへでもお出かけできる粋な女になることが目標です。

着物はコレクションが先立ってしまい、まだ着てない着物が箪笥にたくさんあるのでそれを着てお出かけしたいです。

そしてその先にある未来としては

シングルマザーで自立に悩む方、看護師を目指したい方、ご家族で健康の悩みを抱えてる方々のお手伝いをしていきたいです。

私の様に自信もなく引きこもっていた女性がいたら

いくつになっても輝く事ができる

なりたい自分になる

あなたの代わりに生きてくれる人はいない

ということを伝えられる女性になりたいです。

現在57歳、還暦までに達成したい目標です。


勝子さん、お忙しい中ありがとうございました。

勝子さんはご自身のSNSアカウントでも情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください(アカウントは2つあります)。

50代に入り、ますます輝くを増す勝子さんの存在に感謝しながら、これからも勝子さんの動向に注目していきたいと思います(50s.online編集部)。


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