山口県の定時制高校教員・久保典子さんの転機は50代での再婚。二度のピンチを乗り越えた今の目標とは?

久保典子

山口県にお住まいの久保典子さんは定時制高校の地歴公民科の先生で文化部の顧問をされている方です。

来年5月にベルサイユ宮殿で行われる舞踏会に参加するのが当面の目標だと言う典子さんに、その経緯を教えていただきたく、経歴を含めて手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。

久保典子

定時制高校教員         

山口県生まれ

本州の西の端、日本海と瀬戸内海に面し、風光明媚で気候も温暖な、大内氏による西京の文化と明治維新の歴史を持つ、山口県に生まれました。

小・中・高と地元の学校を卒業し、早稲田大学に進学、卒業した後は、都立高校に勤務しました。

30歳の時に教員採用試験を受け直して山口県に戻ってきました。現在、定時制高校で、地歴公民科の教員として働いています。

専門は「世界史」で、ヨーロッパの歴史や文化が好きです。小学生の頃から「ベルサイユのばら」が大好きで、だからこそ世界史の教員になったと言っても過言ではありません。

大学時代に、東京ディズニーランドでキャストとしてアルバイトをしていたので、ディズニーも大好きです。社交ダンスの発表会では、毎年のように、ディズニープリンセスになってワルツを踊っています。

スチュワーデス不合格と離婚

これまでの人生で二度、どん底を経験しました。

一度目は、スチュワーデスの既卒試験に不合格になった時。

大学4年生になり、就活が目の前に迫ると、スポーツジムに入ってトレーニングしたり、早起きしてアパートの周辺をジョギングして、スタイルアップと体力増強に努めました。

英会話スクールにも通い、最大限の努力をして受験した某航空会社の新卒試験でしたが、3次試験まで進んだものの、最後の身体(視力)検査で不合格となってしまいました。

スチュワーデスになる夢を諦めきれなかった私は、既卒試験合格を目指して就職浪人することを決め、就職先もない心細い状態で大学を卒業。

豊島区のアパートを引き払い、浦安のアパートに引っ越しました。ディズニーランドのアルバイトを継続しながら、航空会社の既卒試験を待ちました。

そして待ちに待った既卒試験が、卒業した年の11月に行われましたが、またしても不合格。
先の見えない自分の将来に希望を失い、浦安のアパートで「死んでしまおうかな」と思いました。

今こうして生きているのは、「山口の両親が悲しむだろうな」って思ったから。

「こんなことで自殺させるために、私を東京の私立大学に行かせてくれたわけじゃない。こんな死に方をしたら申し訳ない。」と思ったから踏みとどまることができました。

二度目は、元夫が懲戒免職になり、私自身もそのことが理由で担任を外されて失意のどん底に堕ち、離婚した1年後に、唯一の希望だった再婚話が破談になってしまった時です。

この時も、「死んだら楽になれるかな」と思いました。

でも「今、私が自殺して死んだら、4人の子どもたちはどうなる?ますます好奇の目にさらされて肩身が狭くなり、辛い思いをするだろう」と、一度目の時より直ぐに思い直すことができました。

「母は強し」です。いずれにせよ、親子の情に勝るものはないと思います。

そんな過去が嘘のような現在の私であるため、授業で生徒たちに「就職試験に失敗して、その時は自殺も考えました」と言うと、生徒たちは決まって笑い出してしまいます。

信じてくれないからです。「本当です!」とムキになって言えば言うほど大爆笑になっていきます。

これから先の人生でまた、どん底に堕ちる時がくるかもしれません。でも、そこから立ち上がり、リカバリーすれば、笑い話にだってできるかもしれません。

転機となった50代

48歳で離婚して、51歳で現在の夫と再婚するまでに始めたことが二つあります。

一つは茶道、もう一つは着物です。習い始めた茶道の初釜で約20年ぶりに着物を着て、それ以来、着物に魅せられて着付け教室に通うようになりました。

着物の魅力は季節を表現する感性を磨いてくれることだと思います。例えば、桜をイメージした着物の色と柄、帯の色と柄、帯揚げ、帯締め、半襟、伊達襟の色、かんざしの色と柄で桜の季節を楽しむことができます。

着物を着るようになって、以前にもまして季節を意識して生活するようになりました。

基礎科から専攻科に進み、昨年、師範科を修了し、自装だけではなく振袖の着付けもできるようになりました。

他装ができるようになって、着物の世界が広がりました。

今年の1月、定時制高校を卒業した教え子に振袖を着付けて、一緒に二十歳を祝うという夢を叶えることができました。

部活動では「文化部」の顧問をしています。昨年は、文化部の活動として、手毬を作ったり、浴衣を着たり、高校のすぐ近くにある大学の韓国人留学生に、つまみ細工で髪飾りを作る作り方や茶道を教えてあげたりしました。

韓国人留学生の女の子と次女に振袖を着付けて、萩市の城下町や美術館の浮世絵を観に行きました。

今年の3月には、台湾人留学生の女の子と次女に着物を着付けて、「花子とアン」のドラマで知られる柳原白蓮が暮らした、福岡県にあるお屋敷のお雛様を観に行きました。

私の専門は世界史ですが、自分の国の文化を理解してこその異文化理解、日本という拠り所があってこその世界だと思います。

世界史を学べば学ぶほど、日本史の大切さ、面白さ、日本の文化の素晴らしさに気付かされます。

日本の文化に憧れている外国人はたくさんいます。まずは、自分自身が日本の歴史や文化を再認識して、日本が世界に誇る和の文化をたくさんの国の人たちに伝えていきたいです。

一番嬉しかったこと

現在の夫と再婚することができたことです。

何か行事やイベントがある度に、一年中着物を着ている生活を送ることができるなんて、どん底に堕ちた40代の頃には、想像もできなかったことです。精神的、経済的に支えてくれる、現在の夫がいなければ、現在の私は在りません。

ベルサイユ宮殿の舞踏会に参加予定

4年前、初めてベルサイユ宮殿を訪れて、子どもの頃からの「ベルサイユのばら」熱、「マリーアントワネット」愛が再燃しました。

来年の5月に、ベルサイユ宮殿で行われる舞踏会に参加する予定です。

ドレスコードは「ロココ調のドレス」なのですが、ロココ調のドレスの上に、色打ち掛けを羽織って舞踏会に出ようと思っています。

テーマは、「フランスの宮廷文化+日本の着物文化」。

今年度の「時事研究」の授業で、地元下関市の「先帝祭」のことを調べているので、色打ち掛けを花魁風に着て、先帝祭の上臈道中をベルサイユ宮殿で紹介することができたらと、夢は膨らむばかりです。

若い世代に日本の素晴らしさを伝えたい

5月からは、「新日本髪」を結うお稽古をしています。

「新日本髪」は、戦争で日本の女性が着るものもあまりない中で、せめて髪くらいは自分で結って花で飾って、明るい気持ちで暮らしてほしいという願いから、昭和20年代に、中原淳一さんが考案された、自分で結えて日本髪風に見える髪型なんだそうです。

日本髪は明治時代に、洋装にも似合う束髪に変わっていったのですが、戦争が終わって、「やっぱり日本人は、お正月だけでも日本の雰囲気で過ごしましょう」という気持ちも込められていると聞きました。

「先進国だったはずの日本が、幸福度も低く、2人に1人が癌になり、経済も低迷、それを再生させるには、日本が昔から大切にしてきたものを再び大切にしていく他はない」最近一番心に響いた言葉です。

昨年12月のサッカーワールドカップでの、ヨーロッパの強豪国を次々に破り、ベスト8まであと一歩という日本の快進撃や、今年3月のWBCで日本が優勝するという快挙を目の当たりにして、日本人であることを心の底から誇りに思いました。

日本中が元気をもらったわけですが、私にも何か出来ることがあるんじゃないか、もう既に、あらゆるところであらゆる日本人が、日本を盛り上げるために、頑張っておられるのですが、私にも何か出来るはず!

今、置かれている場所で、私に出来ること!

それは、高校生をはじめとする若い世代に、日本の素晴らしさを伝え、それを世界に発信していくことだと思いました。

日本人が大切にしてきた和の装いや文化を絶やすことなく、次の世代に継承していきたいです。

そして、来年の5月までに、自分で新日本髪を結えるようになって、和装の文化を憧れの地ベルサイユで披露したいです。


典子さん、お忙しい中ありがとうございました。

典子さんはご自身のSNSアカウントでも情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください。

来年の5月、ベルサイユ宮殿で行われる舞踏会に参加した典子さんからのご報告を楽しみにしながら、本日の素敵な女性紹介とさせていただきます。


「新日本髪を結う技術で、自分の髪の毛で結ってもらいました。この和装の文化をベルサイユで披露したいと思っています」


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