京町家をリノベーションして国際交流が出来るイベントスペース『ASONDEIKINAHARE KYOTO』を2024年7月にオープンさせた森田好美さんのご紹介です。
開業に至った経緯を教えていただきたく経歴を含めた手記をお願いしたところ、快くお引き受けいただけましたので、ぜひご一読ください。
森田好美
●経歴
小学生中学生時代は、健康な身体作りのために週3回京都で有名なスイミングスクールに通っていました。その他の曜日にはピアノ、絵画、書道、お茶、お華とお稽古漬けの日々でした。
放課後に遊んで帰った記憶はないです。箱入り娘として育ちました。その反動なのか高校と大学では自由を謳歌し、学生生活はアルバイトと遊びに夢中で過ごしました。
就職は、絵画が好きでギャラリーに勤務いたしました。今でも感性を高めるためにアートは必要で、旅に出掛けても絵画展に足を運びます。
祖父が染色業、父が西陣織の織元、母が日舞若柳流の師範でしたので着物は身近にありました。だから色彩感覚が豊かなのかも知れません。
若い頃は、代々の物や新調してくれたにも関わらず全く興味がなく、お嫁に行く時もトラック3台で行きましたが着物を着る事は一度もありませんでした。ほんまに罰当たりですね。
しかし、立ち上げた今のお仕事柄、沢山の和箪笥に眠る着物や帯達を出して今の仕事に一役買っていて両親に感謝する毎日です。
●最大のピンチ
両親の介護生活が15年間程あり、子育てと重なり一番大変でした。大切に育てて貰った両親でしたので2人共に自宅介護で看取りました。特に認知症になった母を24時間見張りながらの介護はいつまで続くのだろうかと、疲弊し出口の見えない長いトンネルに入った様でした。
その頃は自分の時間などは一切持てないがむしゃらな日々でした。しかし、何事にも一生懸命に頑張るのが取り柄でしたので悔い無くやり抜いた事は今でも誇りに思います。それは小さい頃から身体作りをし、丈夫な体にしてくれた両親のお陰やと思っています。
●嬉しかった事
2024年、諦めかけていた夢が実現出来た事です。長い間、自分の時間も無く過ごしていた日々でしたが、将来は生まれ育ったこの家で国際交流が出来るイベントスペースを創りたいと思っておりました。介護中から約10年の構想でした。
京都市の歴史的意匠建造物の我が京町家を半年以上かけてリノベーションをし、2024年7月に『ASONDEIKINAHARE KYOTO』をオープンいたしました。
オープニングイベントは、高校の同窓生で人生の大先輩、そして京都の重鎮様達に支えて貰いながら、華やかに開催出来た事に大変感謝をしております。本当にありがとうございました。
●これからの夢
世界中の国から京都の文化や食を楽しみに当店に遊びに来られます。地元の人と触れ合うのが旅の醍醐味と思います。私は女将としてそのひと時を大切にし、これからも沢山の人達との交流を楽しみたいと思います。
次なる大きな夢は、海外における京都文化の発信地としてリトル京都・西陣を楽しんで貰える『ASONDEIKINAHARE WARLD』を創りたいと考えています。
SNSの普及でグローバルな夢が身近なものになりました。当方に来られる方々との御縁を大切に、今後も夢に向かい取り組んで参りたいと思います。
また、今年はミセスオブザイヤー2025に大阪からエントリーをしています。昨年も出場いたしました。美しく輝く人達のチャレンジは私自身も強く高揚いたします。晴れの舞台に立ち自分を誇らしげに魅せる素晴らしさを実感いたします。
このミセスオブザイヤーに出場する事が私の心のビタミンになっています。輝き続けながら夢に向かう事は人を大きく成長させてくれますね。自分の事を大好きでいるためにもチャレンジし続けたいと思っています。
好美さん、お忙しい中ありがとうございました。
好美さんは複数のSNSアカウントで情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください。
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