二女の心臓病を乗り越えた鈴木裕美さん「ファスティングを通してしなやかに美しく前進する女性に」

鈴木裕美

宮城県にお住まいの鈴木裕美さんは、ファスティング(断食)を通してしなやかに美しく前進する女性を増やしたいとSNSをメインに活動されている方。

なぜこのような考えに至ったのかをぜひ教えていただきたく、ご自身の経歴やお子さまの心臓病の経緯を含めて手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。

鈴木裕美

ファスティングアンバサダー

ファスティングとは、固形の食事を摂らず酵素に置き換えることで、胃腸を休めながら体内の酵素を温存することができ、体の中に蓄積された毒素を排出するデトックス効果によって元々私たちが持っている自然治癒力を高める健康法、美容法です。

昭和52年(1977)8月24日生まれ 45歳
娘2人のシングルマザー

幼少期の夢はCAになること

幼少期はバレーボールを小学2年生から始め、高校生の時に腰と肩を壊してドクターストップになるまで続けていました。

スポーツだけは万能で、中学総体の時は臨時で陸上部に入らされ3種競技に出ていました。

やれば何でもできる!と根拠のない自信を持つ女の子だったと思います。

ただ、ひどい虐めに遭うことが多く、言葉が出なくなる心的障害があったりする時期も経験しました。

幼稚園の頃に『スチュワーデス物語』というドラマにのめり込み、〝いつか私もスチュワーデスになりたい〟と思っていました。

ですが、スポーツ少女で男の子勝りの元気な子だったので恥ずかしくて誰にも言わずにいました。

大学生になり、新しい環境で今度はチアリーディング部に入り野球やアメフトの応援にいったり、競技を披露したりする機会が沢山ありました。

見た目以上にハードな競技でしたのでよく怪我をしていました。ひどい時は骨折など笑

それでも誰かに力を与える立場であることや、思い切り体を動かして仲間と頑張ることが楽しかった時期でした。まさに青春時代です。

大学二年生のとき、どうしてもCAになる夢を叶えたくて、約一年かけて両親を説得し大学の他にスクールに通わせてもらうことを許可され、自分でもアルバイトで授業料を稼ぎながらCAになるための勉強を始めました。

大学の授業、チアの練習や活動の後に夜間でスクールに通ったため、帰りはいつも日付が変わっていましたし、そこから大学とスクールの課題をこなす日々で、大学二年生後半から四年生までの期間は睡眠時間が毎日2.3時間でした。今思うと良く耐えたなぁと思います。

そのお陰で、新卒で名古屋空港をベースに国内のCAの夢を掴みました。

26歳で一度結婚し、その後28歳の時、元主人の仕事の都合で仕事を辞め北海道に越しました。
でもすぐに飛びたくなり、エアドゥを受験し再度CAとして飛ぶことができるようになりました。

元夫の実家で不妊治療

ですが30歳の時、主人の父が手術で半身が付随になるかもと言われ、三重の実家へ戻ることになりました。

両親と祖父母のいる中に飛び込み、突然の同居生活となりした。最初の2年はお互い遠慮もあり歯車が噛み合うまでは苦労しましたし、食事も私が担当してたので毎日合宿所のような量を作っていました。

家族とは次第にとても良い仲になり、元主人抜きで義母と祖母と3人でお茶や買い物に出るほど仲良しになっていました。

長女を授かった時はすんなりという感じでしたが、2人目がなかなか。。

不妊治療を始めた頃2人目を授かったと思ったら、卵管に子宮外妊娠でした。夜中に激痛で運ばれ、卵管が破裂寸前で出血がひどく即卵管切除の手術となり、心身にかなりのダメージを受けました。

当時2歳の長女は赤ちゃんが大好きで、妹弟が出来たことを1番に喜んでましたが、激痛に悶える私を見て〝ママのポンポン痛くなるからもう赤ちゃんいらない!〟と泣きじゃくっていたのを今でも思えています。

その後、不妊治療を2年続けましたがダメでした。聞いたところ、残った卵管は中が狭窄していて通れないと言われました。

二女の出産、そして重度の心臓病

もう長女がいてくれるから諦めて今の幸せに感謝しようと気持ちを切り替えた少し後、長女とは7歳差で二女を授かりました。

この、二女との出来事は私と娘との絆を強くする人生最大の経験となりました。

出産までは順調でしたが、いざ陣痛を迎えた時、波に合わせてドンドン心拍が弱くなり危険な状態になったため緊急帝王切開となりました。

でも、生まれたのになぜかすぐに泣いてくれませんでした。体が赤黒くなっていき、先生が慌てて大きな病院へ運びました。

二女は重度の心臓病を持って生まれてきてくれたのです。

『この子は今心不全の状態です。いつ何が起こるか分かりません、、』と告げられた時はパニックになり、状況を飲み込めませんでした。ガクガク震え立てなくなりました。

そして何度も大変な手術を受けなければいけないことも分かりました。

すぐに手術となり、生まれて間もない小さな小さな体で丸一日の大手術を頑張りました。

この日は人生の中で一番生きた心地がしない日でした。

何度も危険な状態になり、先生からか『お母さん、覚悟しててください』と告げられ、崩れ落ちました。娘を失ってしまうがしれない恐怖に呼吸するのがやっとでした。

何とか生きて戻ってきてくれましたが、弱っておっぱいも飲めず体重もドンドン減っていきました。

私は感情に流されるまま落ち込み、自分のことが手につかずぼろぼろになりした。

そんな中でふと鏡に映ったひどい形相の自分に愕然とし、こんな顔では娘を元気にしてあげれるわけない。。と、ショックを受け、スイッチが入りました。

何とか元気にしてあげたい、笑顔の私を見せてあげたいと決め、その日を境にケアをしっかり行うことで〝私〟を保っていました。

そこからの娘の回復が本当に劇的でした。

その数ヶ月間、長女はひたすら毎日寂しさに耐えて手紙を綴り毎日届けてくれました。

話しながら泣いてしまうことがあっても、帰り際は必ず笑顔で『ママとあんちゃんが早く帰ってくるの待ってるから頑張ってね!』と言って帰っていた娘を心から誇りに思いました。

ファスティングを通してしなやかに美しく前進を

現在、二女は8歳になります。

何度も大きな手術を乗り越え、今に至ります。

手術のたびに私たち3人の絆は固くなり、世界一の親子だと自信をもって言えます。

娘たちとのこの経験を通して、人の命、女性の在り方や生き方を身をもって学ばせていただき、ママという存在が子供にとってどれほど大きいかを痛感しました。

だからこそ、今後の夢はファスティングを通して、心と体、そして生き方に向き合い、しなやかに美しく前進する女性を一緒に目指していく活動をしていきたいと考えております


裕美さん、お忙しい中ありがとうございました。

ご自身のSNSアカウントでも積極的に情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください。

今回、裕美さんがシングルマザーとなった経緯は明かされませんでしたが、おそらくお子さまたちが理解できる年齢になってから、そのお話をされるのではないかと考えております。
それよりもまずは、お子さまたちのために前を向いて頑張る裕美さんにエールを送り、その動向にこれからも注目していきたいと思います。

●『周りの人を元気にする大人の女性』紹介企画では、写真の掲載についてはご本人様からの了承を頂いております。画像・動画の無断使用は禁じられていますのでご注意ください(50s.online編集部)。