オーストラリア在住のTomoさん、旅立ちと出産、保護犬、51年の人生の旅

今日の美人さん|tomoさん

2021年11月19日の美人さんはオーストラリアにお住まいのTomoさんです。まだ8歳の娘さんの子育てのかたわら、化粧品販売をSNSで手掛けているTomoさんですが、オーストラリアに移住した理由は? ベトナムの保護犬との出会いは?と、いくつかお聞きしたいことがあり、早速コンタクト。

ありがたいことに、歩んでこられた50有余年の人生の旅路を赤裸々にお話いただけましたので、ぜひ!


●経歴をお聞かせください。

某食品メーカーに勤める父が、地方や海外の転勤や出張のため転校が多かったのもあり、幼少期は引っ込み思案でした。

反面、体を動かすことが得意な私を見抜いた母の勧めで、器械体操を始め、その後オリンピックを夢見る少女へ。

夏休みもなく、ずっと合宿や遠征でかなりハードなトレーニングをしていたので、ドM気質が叩き込まれた時期だったなと。笑笑

初めての職は母の勧めで保育士。しかもお堅い公務員でした。本当の気持ちは美容関係に進みたかったんだと思います。

保育士として5年勤めた頃、私が25の時に父は持病である肺の難病を患って、突然数ヶ月の植物状態に…。そのまま他界してしまいました。

3姉妹で末っ子のパパっ子だったので、その事実を受け入れるのにかなりの時間を要しました。

その翌年、まだ傷心冷めやらぬ母を残してオーストラリアへのワーキングホリデーに行くことを決めて旅立ってしまいました。

『側で見守ってくれるはずのパパ、あの不死身のパパが死んでしまった』

それは、人は一人で生まれて一人で死んでいく、という事実を突きつけられて自分の人生を生きなきゃいけない…そんな使命のようなものに突き動かされたスタートの瞬間だったんだなと思います。

●これまでの人生の中で最大のピンチは?

おそらく父の死が最大のピンチで大ショック。でも、そういうものって最大のチャンスになるためのもの、構築には崩壊が必要と、今振り返ると分かります。

その後もピンチなど指が足りないほどちょいちょいありますが😅

まず 英語も全く喋れない状態でオーストラリアへ何も決めずに旅立ったので、宿探しからアワアワでした。

自分に何か課することを試みたかったんでしょう。(ドMですwww)

その後、現地での出会いがあり、みんなに本当に助けられて最後はネイルの資格をとって日本に帰国。

そのワーホリの間に今の主人と出会っています。でも当時、お互いに付き合っていた人がいたので…。

帰国後、すぐにネイルのスペースを間借りできることになり、赤坂TBS真裏の円通寺坂でネイルサロンを始めました。

日本の技術も学ぶため、ネイルスクールに通いながらです。笑笑

いらっしゃる方は外資系のOLさんや有名人も。「そんなオーダー!?できるかな💦」毎日がピンチの日々でした。

間もなく、スクールで知り合ったエステスクールを主催している方の下、皮膚生理の技術を習得しながらスキンケアアドバイザーとして、ネイルサロンで化粧品の販売も開始。

数年後、青山で独立したのですが、コレもピンチはアレコレで…。サロンを維持するために臨時のネイル講師をしたり、地方のイベントへ出張ネイルでドサ廻りという…。

でもこの時も可愛がっていただいた六本木のジュエリーカンパニーのオーナーが、イベントの度に呼んで下さって、たくさんのビジネスや人生論を語り合えたのも財産となっています。

また、その数年後にオーストラリアで留学エージェントをしていた今の旦那さんに、友達の留学のために連絡を取ったのが再会のきっかけです。

次第に遠距離交際がスタートし、とうとう結婚してしまいましたね。笑笑

オーストラリアへ移住後して1年~2年は、専業主婦でアロマやビューティの勉強をしつつ、その後ビューティサロンでのサロンワークを3年。

シドニー中心地ニュービルディングで、IPL施術が導入されたので日本人コミュニティへのマーケティングを提案&プロデュース。

爆発的に日本人がいらっしゃる人気のサロンになったことがきっかけで、マネージャー昇進。でも、コレもピンチでした!

お店で一番下手な英語のアジア人が、他民族のビューティシャンを仕切るのはかなりのストレスで…。彼ら、すぐサボリますし。笑笑

魅力を感じられないマネージャー職が嫌で嫌で、一人のビューティシャンとして仕事をしたい!なら自分で!と独立してホームサロンをスタート。

ピンチがチャンスとなり、サロンは口コミで広まり順調でしたが、2年ほどで旦那さんの仕事でケアンズへ移住…。

また振り出し…。女性の仕事は、いつだっていろんなものに左右されてしまうんだなぁと実感し悔し涙を流しました。

当時アラフォーの私。不妊治療でこのDr!と思った日本のDrに診てもらうことを決断し、国をまたいでの不妊治療の末、ひとり娘を授かったのが43歳でした。

念願のベイビーとの夢のような日々、でも、娘が1歳になる前に、突然旦那さんがベトナムへ行くと…。

結局、パパを追いかけてスーツケース1つでベトナム偵察入り。

周囲の駐妻達がお抱え運転手を持っている中、パパから渡されたのは110ccバイク🛵

物凄いポリューションとバイク蟻地獄の中、交差点では信号が赤であろうと流れに乗らないと追突事故に!股の間に娘、足元に保護犬ワンコのイチ!まさにピンチの日々でした。

2か月のつもりが結局4年滞在し、娘の小学校入学に合わせて母子のみでオーストラリアに帰国。

娘は父親や兄妹、姉妹のように育った友達、バディだった保護犬との突然の別れ、慣れない英語環境への切り替えに、かなり不安定な状態に。

そんなハードなワンオペが2年続き、仕事どころではなかったです。

ベトナム保護犬のイチを迎え入れるのに7ヶ月もの時間がかかりましたし…。

娘が小学校に入学後、半年くらいして、やっとホームサロンを開始でき、ロダンアンドフィールズというドクターコスメとモネーというヘアケア商品にも出会い、SNSビジネスが必須となり新たなチャレンジとなりました。

元来、裏方職人気質の私。人前に出るのは全く不得意なんです。

でもコレ、私の22年の美容道で最後の使命なんだなというのは分かっていて、もがきながら何とか頑張っています。

こういった形態の仕事ならば、どこの国からでも携帯一つで可能なので。

アジア圏でのビジネスに精力を注いでいるパパは今後どうするのやら🙄

まだまだ我が家のjourneyは続く感じですから、色んな意味でSNSビジネスとの出会いは運命なのでしょう。

●これからの夢や目標をお聞かせください。

私自身は、おそらく今のSNSビジネスで色んな意味でコンプリート!やり残しあったっけって位に満足しています。

特別なブランド品も高級車も広い家も興味がなくなり、今の生活に満足しているので、SNS 的には面白味のない私ですが、自分のいろいろな経験を通して、女性の美と人生の寄り添いができるビューティシャンライフを全うできたら、そう思っています。

お肌って、その女性の心を表しているから、イトオシク興味深いんです。

そして、今はまだ8歳の娘と次のステージで経験したいことがあるので、夢見ていることはソレかな。

●同世代にメッセージをお願いします。

SNS発信している同世代の方って 本当に根性ある方www 追求型の方が多いと思うんです。いつも刺激をありがとうございます♪

色んな経験を重ねたアラフィフって、本当に人生を味わえる時期になっているので、ますますパワーアップしてほしいです🍷

●ベトナムの保護犬イチちゃんについても教えてください。

保護犬を迎えることは、パパからの提案でした。クリスマスのプレゼントとして。

ベトナムでは、熱帯の照りつける日差しの中、バイクに積まれて路上販売されてるワンちゃんも多いんです。

いつ帰国するかも分かない状態で、うちに迎えるのは不可能だと思ったのですが…。

でも、家族で朝まで討論した結果、私も手を差し伸べたい気持ちと不安が入り混じり…。

結局はいつもの運を天に任す、出会ってしまったならいいよ👌と承諾。路上で、ワンコバイクに出会うことがあればね!という意味でしたが…。

その後、パパは会社のベトナム人スタッフに、路上でペットを並べて売っているストリートへ連れて行ってもらったそうです。

出会いに行っとるし 🙄って後から知りました~。

そのストリートは悪名高き劣悪な環境で、食事も水も与えられえていないであろうワンちゃんたちの檻が並んでいたそうです。

お客さんが来た時だけ、ワンちゃんたちをアクティブにするために、ゴハンも入っていない空のアルミのお皿を、紐に付けたものでカラカラと音をさせると、お腹を空かせたワンちゃんたちが立ち上って客寄せになるという扱いで…。

その中で、大人しそうなイチをパパは見つけ、この子!と言うと、店主はビニールバックにイチの脚を掴み入れたと。

本当に家畜扱いなんです、一部の人を除いたモラルが…。どうにかこの子だけ救って連れて帰ってきたんですが、ずっと震えているだけで食べないし、ミルクも飲まないし…。

イチは極度のビビり犬で、5人兄妹からもアタックされていたんじゃないかと思われます。

そんな性格もあって 食べ方が分からないままだったんだと思います。

スポイトでミルクをやったり、食べる真似をして見せたり努力しましたが、衰弱も激しくて動物病院へ。

たまたま日本人の獣医師が日本から持ってきていた高栄養食品の薬で命を繋ぐことができました。

ベトナムからオーストラリアへ帰国の際に、初めて知ったのが、オーストラリアではベトナムから直でワンちゃんが入国ができないということ。

180日以上の第二カテゴリーの扱いで、狂犬病の歴史がまだ残る国からのワンちゃんは、お清め期間が必須なんです。

日本の実家の潔癖症の母にどうにか頼み込んで、半年間預かってもらうことを承諾してもらい、イチは日本で暮らしました。

でも、よかれと思ってスカイプでトークした翌日からイチの血便は止まらなくなりました。

半年間は会えないことを娘にも理解させ、イチにも娘にも本当に可哀想な想いをさせましたが、でも別のチョイスはなかったです。

オーストラリアは動物に関しては世界一規制が厳しく、その煩雑な書類の山にギブアップしそうなほど…。

日本の獣医師や70代後半の母にも、かなり難しいことを協力してもらうことが山のようにありました。

結局、オーストラリアへのイチの移住許可が下りるのに7ヶ月を要しました。

私が日本へ迎えに行った時には、イチは起こっていることが始めは飲み込めず、私を見て震えるのみで…、ショックでした。辛い想いをさせてしまったんだなって。

匂いはたしかに嗅いだことがある。誰だろう??なんだろう???🐶と30分以上震え、近づくこともできず…。

私がシャワーを浴びて、色んな匂いが取れたからか、足をペロっとひと舐めしてくれ、ママだ!と気づいてくれ、それからは声をあげて飛び込んでくれました😭😭🐶🐶

潔癖母は、イチが来た2日後には一緒にベッドで添い寝したそうで、私達がいた時には一度も来なかったオーストラリアにも、今ではイチに会うために訪れています。コロナが終息したらまた来るとも😊

日本での7か月経過で、イチはオーストラリアへ来ることができましたが、係留所は他州メルボルンなんです。

そこで2週間の係留があり、イチは何も食べないという連絡をいただき、すぐにイチの食べられるものを送ったのですが、違う住所に送られたというアクシデントで(オーストラリアはまあまああります)ほとんどゴハンを口にできなかったようです。

さらに、イチが乗ったメルボルンから我が家があるケアンズへの飛行機が、乱気流を避けるために、ずっと旋回で結局、燃料切れで手前のエアポートへ。

ワンコ乗ってるの知ってるのかな?水は飲めてるのかな?オシッコ大丈夫かな?さらに遅延になったら…と不安だらけ。でも、どの空港スタッフもここでは分かりかねますと。

出発見込みは夜中になるからという情報で一旦、家に帰って、小さい娘も一緒に空港へ戻り、イチを空港で待ちました。

出てきた時、分かるかな…と心配していた娘ですが、すぐにキュイーーーーーーン♡と声を出してクレートからペロペロしてくれました🐶

娘にとっては本当にイチは妹。2歳の時からお姉ちゃんだからと毎日ゴハンを作り、水を変えて、うんちをさせてお尻を拭いています。

幼稚園時代は疲れて泣きながらやっていましたね。なかなかのおてんば悪ガキですが それだけは褒めてあげたいことです。

そして、今もとても食が細いイチはちょっとしたことで下痢や血便、拒食に落ち入ります。

なので、なかなか家も空けられずですが、娘や私達家族をこんなにも一途に愛してくれ、温かくしてくれるイチの存在はピカイチです?

ちなみにイチの後ろ足は両方とも指6本👍👍

ベトナムではラッキードックと言われていて、絶対切り落とすな!だそうで、去勢手術の際に、獣医師に手術を勧められましたがもちろんお断りしました。This is Ichi. なので。

パパは、イチが可愛い✨と言われる度にドヤ顔です😁


Tomoさん、お忙しい中ありがとうございました。TomoさんのSNSでは、娘さんや保護犬イチちゃん、そしてパートナーさんへの想いが綴られたものも多く、それらをご紹介&これからもTomoさんの動向に注目していくことを宣言し、本日の美人さん紹介とさせていただきます。

Linktree

well come to my site💛😊Hope you enjoy our amazing skin care p…

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