東京都内でメディプローラー公認サロンを主宰されている齋藤京子さんは、昭和42年生まれの56歳。
私生活では「子供は一姫二太郎、孫3人のおばあちゃん」とのことで、近しい人たちからは「オッサン」と呼ばれているとか。
そんな京子さんには過去にネットカフェで生活する時期が1年もあったとお聞きし、その経緯を教えていただきたく、経歴を含めて手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。
齋藤京子
メディプローラー公認サロン主宰
ミセス・グローバル・アース日本大会ファイナリスト
経歴
山の幸、海の幸、自然豊かな新潟県越後平野の北部に位置する新発田市という土地で昭和42年(1967)2月1日、両親の元に生を受けました。
幼い頃から同年代の子供たちより頭一つ分背が高く目立っていた女の子でした。それがとても嫌でした。
高校入学時、目線が同じ高さの子が多くいたことに嬉しく思ったことを覚えています。
22歳で中型自動二輪免許取得し、33歳になった時に大型バイクに乗りたい!と思い立ち、大型自動二輪免許を取得してしまいました。
ついでにダンプカーも乗れる免許取得も考えましたが、そこはチョットとどまりました。(笑)。
金融を畑として仕事をしてきましたが、東京大学市民後見人養成講座を受講したことで福祉事業に携わることができ、また、あるご縁から徐々にセラピストの道へ。
美容関係数社の講師経験を経て、コンテストBC講師、サロンオーナー様に技術指導等を行う等、現在は東京都内でウエルネス概念を基本とし、ひとりひとりのご要望に沿ったサポートをさせていただくサロンを主宰。今年で8年目を迎えます。
子供は一姫二太郎、孫3人のおばあちゃんですが、近しい人たちからは「オッサン」と言われています。
人生の選択肢
よく耳にするのが、人生山あり谷あり。・・・実感しています。
今まで強く生きていかなければと思った一番の理由は29歳での離婚でした。
夜、布団に入るといろんなことを考えてしまい、布団をかぶり毎日泣いていました。子供たちと一緒に寝ていたので泣き声が聞こえないように口元をおさえながら泣いていたのを昨日のように覚えています。
心臓が圧し潰されそうな痛み、張り裂けそうな痛み、これが、心が痛いと表現する一つなのだなとも実感した時でした。
どんなに泣いても、苦しくて辛くても、悲しくともそんなことにはお構いなく時間は刻み、必ず地球上では夜が明け太陽が昇る。
初めて飛行機に乗り地平線を空から見た時に、人間って小さいんだね、宇宙からすると蟻んこぐらい小さいかもと思った時と似たような感覚で、自分の辛さは小さいことなのかもしれない、そう感じるようになりました。
この時は、子供たちを守らなければと必死でしたので、そう思った方が楽だったのかもしれません。
ある女性社長から「手に職を付けた方がいいわよ、いい人を紹介するわ」と言われ、紹介していただいた方から施術を学ばせていただきました。ここからセラピストへの選択肢が広がりました。
2021年、友達からミセスコンテスト出場へ背中を何回も押されて悩んだ結果、出場を決心しました。
皆様から応援していただいた結果、ミセスグローバルアース日本大会ファイナリストにならせていただきました。
この件に関しても、行動を起こすことで選択肢が再び広がりました。
今年は、このコンテストでご縁をいただいた繋がりから、7月17日に品川で開催されるTHE WALK COLLECTIONのモデルで参加させていただきます。
子供の頃、モデルさんになってみたいという淡い夢がありました。40年経っての実現です。歩くこと、表現することが苦手な私にとって大きなチャレンジです。
「きもの」という日本伝統文化も大好きなので、世界に情報発信できたらいいなと考える今日この頃です。
未来はどうなるかなんて、誰も分からない。
行動を起こすことで選択肢が一つひとつ増えることに気づきました。
今は、数本かもしれない道が、一本、一本と増えることを考えるとその先に何があるのだろうとワクワクしませんか?
今だから笑って話せる
当時は、とっても恥ずかしくて言えなかったのですが、今では笑って話せる体験があります。
人を信用したばかりに住むところを無くし、ネットカフェで生活する時期が約1年近くありました。
その中で泊まる部屋が取れなく、上野公園のベンチでカバンを抱えて一夜を過ごした時がありました。
人気がなくなる時間帯、通りすがりの人の中に「お姉さん、終電乗り遅れたの?危ないから気を付けてね」と言って過ぎる人、しつこく指を数本立てて(いくら?という意味)何度も行ったり来たりする人がいました。田舎育ち田舎暮らしの私には、衝撃な出来事でした。
ひとりひとりの人生は本一冊になるということを聞いたことがありましたので、心の中で「私も一冊書けちゃったりするのかな、笑える~」と、ようやくカミングアウトです(笑)。
コロナで世界中が騒いだ時代を経て「生きる」ということを含めいろんなことを考えさせられました。
周りの人たちに助けられながら生きていることに感謝しています。
健康であること
一姫二太郎を授かったこと。
これは、私自身が命を授からなければできなかったこと。命の尊さを感じます。
拠点を都内に移した頃、体に異変があり病院へ行きました。大したことはないだろうなと思いつつ検査を受けたのですが、意外な箇所で病名が付けられてしまいました。
血液の病気と言われる「本態性血小板血症」と伝えられ、茫然。
この病気に罹る人はかなり多いと聞いています。医師によって言うことが違うので、気にしないように生活していますし、誰でも起こりうる病気だと思い、病名は忘れて日々を過ごしています。
4年ほど前に、顔面神経麻痺で顔の左側が機能しなくなり、目は開きっぱなし、口も動かない状態となりました。
寝る時も目が開いた状態でしたので、目にテープを貼り就寝。食事の時は唇は動かない、口腔の感触もない状態でしたので口元がだらだら。表情が戻るまでの数ヶ月は、とても辛かったです。
何気に自身の意思で動いてくれている体ですが、「労わる」ことはとても大切であると考えさせられました。心と体の調和をとることは、健康を保つというところの重要なカテゴリの一つと考えます。
生きやすいと感じる世界観
巷では、パーソナルカラー診断、骨格診断というものが人気となっていますが、この通常の診断では、枠に囚われがちになってしまう人がいるように思います。
そのため、その人がどのようになりたいか、どのように生きたいかを深堀していき、決まった枠に縛られない診断が可能で、ホルモンバランスも分かってしまう診断を学び始めました。
これらを活用し今後の活動にプラスしていく予定です。
自身が経験したことを活かし、「枠」「区別」にこだわることなく、女性自立のサポート、ひとり親へのサポート、福祉事業のサポートができればと考えており、それぞれの地域で、笑顔で過ごせる環境づくりを考えています。
未来が、これから生まれてくる子供たちもが生きやすい、戦争のない世界になって欲しいと強く願います。
山あり谷ありの人生、紙一枚ほどの這い上がりでも、積み重ねていくと、きっといいことたくさんあると思います。それを信じて寿命がある限り生きていきたいです。
京子さん、お忙しい中ありがとうございました。
京子さんはご自身のSNSアカウントで積極的に情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください。
50代女性の可能性を感じさせてくれる京子さんの若々しさと美しい眼差し。
これからも当編集部では齋藤京子さんの動向に注目し続けることを誓い、本日の素敵な女性紹介とさせていただきます(50s.online編集部)。
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