吉永小百合さんは水商売歴40年で「ラウンジ舞」のママ。その人生のみちのりをお聞きしました。

吉永小百合「ラウンジ舞」ママ

大阪府高石市羽衣にある「ラウンジ舞」のママをしている吉永小百合さんのご紹介です。

まずはお名前についてお尋ねしたところ、以下の返答をいただきました。

「はい、吉永小百合は本名です。父親が女優の吉永小百合さんが大好きでそれでつけたみたいです。名前で苦労した事はあまり記憶にないですが、逆に得をすることが多くて名刺を渡した時、名前に皆さん驚かれて初めての方でも名前の話題でしばらくは盛り上がり、打ち解ける事が多いので職業柄助けられました」

そんな小百合さんに、これまでの人生の歩みを手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。

ラウンジ舞 吉永小百合

昭和41年(1966)大阪市生まれ
堺市在住

5歳の時に両親が離婚。父親に姉と一緒に引き取られた後、父親が再婚して義母も含めて暮らしていました。

小さい頃は義母と仲がいいとは言えず、自分の事は自分でするという生活で、高校に入ってすぐにアルバイトをして、金銭的にも自分のお小遣いは自分でという生活でした。

この小さい頃からの「自分の事は自分で」という経験が今の自分を作ったのだと思います。

水商売を始めたのは18歳の頃です。

昼はコンパニオンやモデルの仕事をしながら、夜の仕事をしていました。

25歳の頃ミナミのラウンジで働いてる時に、当時ラウンジ舞のオーナーとママだった女性と知り合い、ラウンジ舞のチーママとして働くことになり、私が42歳の頃、当時のママが引退して私が現在のママの立場になりました。

辛かったのは、やはりコロナが流行して長い期間お店を閉めざるを得なかった時です。

女の子たちも昼職に転職してどんどん辞めていきました。毎日のように外食に行ってた生活がなくなり、仲の良いお客様とも会えなくなり、孤独を感じる生活がしばらく続いた事が辛かったです。

でもその中でも辞めずに、いざという時に一緒に働いてくれた女の子たち。時短でもそれでも来てくれた常連のお客様たち。

コロナ前は忙しくて、見えなかった事がよく見えてきて、感謝という本当の意味を知る事が出来ました。

今はアフターコロナということで、通常の生活が戻りましたが、以前と同じような賑やかさには戻っていません。

家飲みというライフスタイルに慣れてしまい、外で飲むという習慣が少なくなってきたようです。

大阪市内の北新地やミナミの方は人出も多く、華やかになってるらしいですが、やはり大阪市外の地域は、ラウンジも含め飲食店さんも苦しい状況です。

それでも私たちのような、人を癒す、夢を与えるという仕事はなくならないと思ってます。

私はもうすぐ58歳。いつまで続けられるかわからないですが、人を癒すというこの仕事の意味を、これから働いてくれる女の子たちに少しでもわかってもらえるようきちんと指導していく事がこれからの私の仕事だと思っています。

ラウンジ舞で働いてもう33年。お店自体はもうすぐ40年になります。

辛い時、迷った時、何度となく…辞めた方がいいのか、お客様に愚痴をこぼす時もありましたが「これだけ長くお店が続いてる事が正解なんだ」と言われていつも我に返ります。

小さい頃からの持ち前のハングリー精神と、典型的なポジティブ思考でこれまでやってこれました。

そして、歳を重ねて可能であれば、ゆくゆくは一人でひっそりと自分の店を持ち、天命尽きるまでこの仕事を続けるのが私の夢です。


小百合さん、お忙しい中ありがとうございました。

小百合さんはご自身のSNSアカウントで情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください。

「ラウンジ舞」のSNSアカウントはこちらになります。

「天命尽きるまでこの仕事を続けるのが私の夢」という小百合さんの志に敬意を表するとともに、これからも小百合さんの動向に注目していきたいと思います(50s.online編集部)。

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