元甲子園球児の小林ハルヒさんがカミングアウトし性転換手術して41歳の今、伝えたいこと

小林ハルヒ

神奈川県横須賀市ではりきゅうリラクゼーションサロン「warms」を営んでいる鍼灸師の小林ハルヒさん。

ハルヒさんは2000年夏の甲子園に出場した元高校球児ですが、2021年、39歳の時にカミングアウト。

今年1月には性転換手術を終えてミセスコンテストにチャレンジ中とのことで、その経歴を含めて今現在の想いを教えていただきたく、ハルヒさんに手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。

小林ハルヒ

はりきゅうリラクゼーションサロン「warms」
鍼灸師

2000年 夏の甲子園スタメン出場
600ccクラスロードレース参戦
ル.マン24h耐久レースチームトレーナー

私は昭和57年(1982年)5月に男の子として生まれました。5歳頃には、女の子の服やお人形が好きだったようです。長い髪が憧れで、髪を切るのが嫌でした。

幼稚園では祖母に勧められ、剣道を習いました。剣道が好きで、結果もそこそこ良かったです。小学校3年生で父に勧められて野球に出会い、のめり込みました。

中学生の頃、野球のチームでセカンドのレギュラーとなり、卒業までその座を守りました。この頃、性別の違和感が大きくなり始めました。

高校は神奈川県の甲子園常連校であるY浜高校に野球推薦で入学しましたが、男子校での生活に不安定になり、退部を決意しました。しかし、中学時代の恩師の助言で東海大学に編入し、再び甲子園を目指すことになりました。

その時期にカミングアウトすることを考えましたが、家族や応援してくれた人たちのために踏みとどまりました。自分を男性として受け入れ、髪も五厘坊主にし、一心不乱に甲子園出場を目指して練習に励みました。

2000年、夏の甲子園に出場し、一回戦でレギュラーとしてプレーしました。大学進学後、野球部に入部しましたが、新しいことに挑戦したいと思い、オートバイのレーサーになる夢を追いました。

しかし、600ccクラスの地方レースで大事故を経験し、スランプに陥り、レーサーを引退しました。

大学卒業後に結婚し、1人目の愛娘が誕生しました。

女性の身体だったら、この子を妊娠してお腹の中で幸せを感じられたかもしれないと思いました。

HONDAに就職し、サラリーマンとして働いていた頃、そこでプロライダーと出会い、彼に憧れ、彼を引退までサポートしたいと思い、トレーナーを目指しました。

しかし、サポート力に限界を感じ、鍼灸師の免許を取得することを決意しました。

鍼灸師の免許を取得した後、ライダーの世界耐久レースにトレーナーとしてオファーを受け、帯同しました。その後、独立して鍼灸院を開業しました。

そして、39歳の時に自分らしく生きることを決意し、家族や友人にカミングアウトしました。
その後、ミセスコンテストに誘われ、女性としての自信が芽生え、自分を磨くためにさまざまなコンテストにエントリーしました。

今年の1月19日に性転換手術を終え、現在は「ミセス関西コレクション」で本気でグランプリを目指しています。過去の経験と努力を活かし、自分らしく輝きたいと考えています。

このように、私の人生は様々な挑戦や変化がありましたが、自分自身を受け入れることで幸せを見つけることができました。今は自分の夢や目標に向かって頑張っています。


ハルヒさん、お忙しい中ありがとうございました。

ハルヒさんはミセスコンテスト「ミセス関西コレクション」出場者・自己紹介動画内でも、その想いを語っております。

ハルヒさんはご自身のSNSアカウントでも積極的に情報発信されていますので、こちらもぜひご参照ください。

●17LIVE(画像をタップするとジャンプします)

●Instagram

「自分自身を受け入れることで幸せを見つけることができた」

ハルヒさんのこの言葉を読者の皆さんに改めて強調するとともに、性別に関わりなく誰もが心穏やかに過ごせる世の中であって欲しいと願い、本日の素敵な女性紹介とさせていただきます(50s.online編集部)。

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