2023年2月10日にご紹介させていただくのは、株式会社Grace B3 代表取締役の山村かおりさんです。
かおりさんは元プロダンサーの経験を活かして『こころとカラダと食の3方向からのアプローチ~人生も変えるボディメイクメソッド』を提唱し、一人でも多くの女性が自身の人生を想い通りに生きるようにと奮闘されている方です。
「女性をサポートし、沢山の笑顔を増やしたい」、その強い信念の原点をぜひ教えていただきたく、経歴を含めてかおりさんに手記にまとめていただきましたので、ぜひご一読ください。
一生ぶれない心と身体作りの専門家 山村かおり
●経歴
幼少期に両親の離婚があり、それからずっと常に「愛情を求める」人生となりました。
当時4歳~5歳。母は私の妹に当たる6カ月の乳飲み子だけを連れ、ある日忽然といなくなりました。
それから幼稚園に入るまでは、父親が仕事に出ている時はずっと一人ぼっち。入園と同時に祖母に引き取られ、そこから幼稚園に通いました。
小学校入学と同時に、このまま祖母と暮らすのか、それとも再婚した父親と継母と暮らすのかの選択を迫られました。
その時の私の感情は「母親という存在が欲しい」ただそれだけで、父親と暮らすことを決めました。なぜなら、幼稚園で両親が来る行事での私の相手は、いつも先生だったからです。
小学校入学とともに始まった継母との新しい生活。
その継母は、モデル業もやっていたこともあり、きれいでしたが、ブランド物を身にまとい香水を振りかざし、その当時ではかなり派手で目立つ方でした。おまけに、私の年齢の子供を持つには、年代の若い母親となりました。
暮らしが始まった当初は、きっと好きな人の連れ子なので多少は気を使われ、それとなく可愛がられたように思いますが、それでもお姉さんという感じだったので、母親的存在ではありませんでした。実際に暫くは「お姉ちゃん」と呼んでいました。
それから、父親との間に子供が生まれ…いわゆる「腹違いの妹」。そこから継母のしつけという名の虐待が始まりました。そこにプラス優等生でいなければならないこと、家事や妹の面倒。
プライベートが全くなく友達と遊んだこともありません。学校でも同級生の話題にはもちろんついていけず、家でも学校でもじぶんの居場所などなく、孤独でした。
じぶんの存在も人格も否定され続ける毎日
私は何のために生きているんだろうと
小学生の間に〇〇未遂が3回ほどあります。
父親も仕事ばかりで会うことがなかったので、この家に来てからの会話は皆無でした。親の顔色ばかり伺い、いつ怒られるか、何で怒られるかわからず24時間びくびくしている状態。それでも学校では、一人であってもびくびくすることはなかったので天国でした。
中学2年生になり、あるきっかけで産みの母親が見つかり、そちらに行くかという話があがりました。
私のその時の感情は… 母親に会いたいなどの気持ちは一ミリもなく、ただただ「この地獄みたいな家から出れるんだ!」だけでした。その気持ちだけで、二つ返事をし母親の元へ。
ですが、ここからまた孤独の日々が始まります。
母親が連れて出た、妹。ずっとこの母子家庭で生活してきた2人の間には絆があり、この二人の間に私の入る隙間はありませんでした。ただ、自由はありました。なので、学校では荒れに荒れました。
継母からは、出ていけ。産みの親からも前の家に帰れと何かにつけ言われ続け…
「私の居場所はどこ?」と、ずっとそんな感情を抱えたまま過ごしていたある中2の冬。私を救い出す大きな転機が訪れます。
それはダンススタジオの発表会のポスターでした。それを見た時、私の身体は稲妻が走ったような感覚に陥りました。
ダンスはおろか、クリエイティブな世界には程遠い環境で育ってきた私が、なぜそのポスター1枚にそんなに惹かれたのかわかりませんがおそらく、この出逢いが無ければ私はこの世にはとっくに存在していないと思います。それくらい荒れていました。
それから、ダンスを習わせてもらうための、母への説得が始まります。
揉めに揉めて条件を飲むことで習わせてもらうことになりました。私が、初めてじぶんの意見を言った時でもありました。それほど、やりたかったのでしょう。そして、一生ダンスをやっていくと決めました。
自由を求め、中学卒業後すぐに仕事に就き、大阪で一人暮らしをしながら、ダンスのためにいきている生活。自由な生活と大好きなダンスができる毎日は幸せそのものでした。
ここが私の人生初の大きな転機です。
ダンスに出会えたから、今の私があります。
ですが、ダンスにのめり込む中でも、やはり自分がずっと求めていた「暖かい家庭」への気持ちはずっと心の中にあり、一度目の結婚をしますが、子供がなかなか出来ずに離婚。
2度目の結婚で、子供を2人授かり思い描いていた家族生活も束の間。夫のモラハラでこころとカラダはボロボロに。自由を手に入れたはずが…また幼少期と同じ環境に。
このままでは、私は死んでしまうと思うほど心身共に病んでいきました。生きるか死ぬか…の選択。でも、私には何よりも大切な子供がいる。
そして、2度目の転機。
当時、資格を取るという事が、世間で流行りだした頃、テレビで見たピラティスのインストラクターの資格を取得することにしました。
ここにも大きなきっかけがあり、ある英会話教室を運営している知人が、その空いている時間でストレッチを教えてくれないかというお話を頂いたのです。
私は二つ返事で、ダンスとピラティスを組み合わせたオリジナルメソッドを考案し、定員6名の教室をスタートさせたのです。ここが、今の独立した私のスタート地点になります。
それが、ありがたいことに口コミで広がり、当時まだあまりなかった、パーソナルレッスンも出張でスタートすることになりました。
次第にパーソナルの方が増え、移動時間がもったいないなという事で、場所を思い切って借りようと、現在のサロンを借りる事になったのです。
ですが、ここでまた大きな壁にぶち当たります。
一旦は専業主婦に徹底し、自分が子供の頃にしてほしかったことを、子供たちには注ぎたいと、何の能力もない私なりに全力で子育てに専念していました。
その長い間の専業主婦から社会に出たので、何の信用も信頼もないただの人ということを思い知らされます。開業資金の一部、50万円の融資の審査が通らず、じぶんのカードすら作れませんでした(主婦という立場では作れます)。
ですが、ここからどうやったらできるかという様々なことへの挑戦が始まります。私の中で、諦めるという選択肢がなかったからです。
そして、提供するコンテンツはどんどん形を進化させていきました。スタート時は、ダンサーのカラダの使い方を取り入れた独自のパーソナルトレーニング。
そこに、こころの部分(心理学)食事(分子整合医学)を取り入れ『こころとカラダと食の3方向からのアプローチ~人生も変えるボディメイクメソッド』となりました。
私のボディメイクの絶対的概念は、始めた当初から今も変わらず「じぶんでコントロールできる一生モノのこころとカラダ作り」です。
その理由は、私のところにボディメイクで通って下さっても私と離れての生活の方が断然多いからです。
ですので、日常生活でじぶんでコントロールできる術を身につけないと意味がないのです。一瞬理想のボディになってもそれをキープしなければ意味がないのです。だから、日常生活でコントロールできるノウハウを提供し続けているのです。
そして、沢山のクライアント様と関わらせて頂く中で一番多く頂いた感想は「人生が変わった、行動範囲が変わった」だったのです。「痩せた。嬉しい」はもちろんですが、上記が断トツでした。
ここで気が付いたことは、仕方なく自分の人生を後回しにしている女性がどれだけ多いことか…だったのです。
私のように、我慢をしたり、じぶんのことを優先する罪悪感や自己肯定感の低さ。こんなにも多いの?と感じていました
なので、私と同じような思いをしている女性を一人でも多く、一人の人として、じぶんの人生を生きていけるようにバックアップ・サポートをしていきたいという想いがさらに強くなり、そこに向けてのコンテンツ作りが今に至ります。
現在は、ブラッシュアップを繰り返し、女性の起業のスタートアップ・しっかり収益を取れる着地までサポートするコンサルティングを行っています。
こうやって、色々進化はしてきていますが、時流に乗りながら変化させるものがある一方で、根底にある信念はぶれずに貫き通しています。
ここに来るまでに、悔しくてたまらなかったこと、悲しみや裏切り、騙されたこと、たくさんエピソードがあります。
ですが、私はたまたま一人でも諦めずに頑張ることができ、どん底だった人生を抜け出すことができました。もちろん、沢山の方にも助けて頂き感謝の一言では言い表せません。
今とは、真逆の性格と人生だった私。
今では、昔の私は想像できないような別人になりました。
でも、抜け出せない女性もたくさんいます。この私の経験、何もなかったマイナスからのスタートでじぶんの人生をじぶんで切り開いてきた経験を活かし、一人でも多く、沢山の女性の笑顔を作っていくことが私の最後の仕事の使命だと思っています。
恵まれない家庭に育ち、結婚、出産、離婚、こころの病からくる身体の不調。そして、起業、法人化、一通りの経験はしてきたので、沢山の女性に共感し寄り添うことができると思っています。
そして、今、私は自分自身のライフスタイルも本当に素のまま、やりたいことをやりたいように自分の人生を生きています。
「人生想い通りに想うがままにじぶんに素直に」
今までとは違うジャンルのダンスも始め、残りの人生悔いのないように、やりたいと思う事は一つでも多くやって、最後まで成長しながら生きていきたいと思って過ごしている毎日です。
●最大のピンチと一番嬉しかったこと
最大のピンチは… なんでしょう? 一人暮らしを始める15歳までは本当に辛かったです。でも、この時期があったから、雑草のような根性が身についたかもしれません(笑)。
一番うれしかったことは…2人の子供に出逢えたこと。そして、今最高に幸せなことです。
●これからの夢&目標
私が今の人生を手に入れるのにバックグラウンドがあった訳でもなく、何もないところからのスタートでした。頑張っていることで沢山の方と出会い、沢山助けて頂いています。
こんな境遇の私でも、じぶんの人生を想い通りに生きれるようになるというこの経験を活かしながら「本当は輝きたい…」「もっと自分の人生を生きたい」と思っている女性を一人でも多くサポートし、沢山の笑顔を増やしたいと思っています。
そこにプラス、愛情に恵まれない子供達への何かしらのサポートや支援も一つの目標です。
自身のパーソナルな夢は、ダンスを続けて最終、Las Vegasの世界大会に出る事です。それと、大好きな車にも乗り続ける事です。
ダンスは、私を生かしてくれたものであり、車は、唯一わたしと父親の繋がりのある思い出のツールですので、この二つだけは私が生きていくうえで譲れないものとなっています。
必ず、今思い描いている人生を実現します。
かおりさん、お忙しい中ありがとうございました。
かおりさんが情熱を注いでいる「人生も変えるボディメイクメソッド」の詳細につきまして、ぜひ株式会社Grace B3 公式サイトをご参照ください。
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女性の自立・独立起業に向けて、一生モノのぶれないこころとカラダ作りを目指します。感情の浮き沈みに振り回されず、自立するた…
●株式会社Grace B3 Company Song「未来へTAKE OFF」(2023年2月1日release)
かおりさんは公式YouTubeチャンネルやSNSアカウントでも積極的に情報発信されていますので、こちらも要チェックです。
こちらは女性起業のスタートアップのためのサポート専用アカウントになります。
「一人でも多く、たくさんの女性の笑顔を作っていくことが私の使命」と言うかおりさんに心から敬意を表するとともに、かおりさんのこれからの動向にも注目していきたいと思います(50s.online編集部)。
大阪市中央区にあるファスティングダイエットトレーニングサロンGraceB3では、「ボディメイクを通じてライフスタイルを研…
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