2022年11月4日にご紹介させていただくのは、医療アートメイク専任の看護師として都内のクリニックに勤務されている鵜澤美保(うざわ みほ)さんです。
アートメイクとは、皮膚の表皮部分に色素を入れることで皮膚を着色する施術の事。
通常のメイクと違い、メイク直しの必要が無いなどの理由から昨今、注目されている施術ですが、美保さんがどのような経緯でアートメイク専任の看護師になられたのかをぜひ教えていただきたく、その経歴を含めて手記にまとめていただきましたので、ぜひご一読ください。
アートメイク専任看護師 鵜澤美保
【経歴】
昭和48年(1973)4月生まれ。
北海道の大自然の中、山に入り猟をする父と料理好きな母の下、3姉妹の次女として生まれ、豪雪の中を毎日片道40分歩き通学して育ちました。
子供の頃はお菓子作りや洋裁や編み物が趣味で細かい作業が得意でした。同時にソフトボール部にも入り、身体を動かすことも好きな学生時代でした。
東京でOLとして働き25歳で結婚。
3人の子供に恵まれ、毎日の仕事、家事、育児に奮闘し数時間の睡眠時間で乗り越えてきました。
子ども達が成長し、自分が母親として必死に人生を歩んできた事を誇りに思うと同時に自分の人生、まだ夢を追いかけたい思いが日に日に強くなり、看護師資格を取得しました。
そして4年半前から、アートメイク専任の看護師として都内クリニックに勤務しています。
私のアートメイクとの出会いは7年前、たまたまテレビで見た映像に衝撃を受けてからです。
アートメイクを漠然とは知っていましたが、アートメイクを受ける人の骨格や年齢、肌質を考え、眉のデザインをも繊細かつ正確な技術で施術し、その人の人生まで左右するアートメイクこそが私の天職と感じました。
そこで大手アートメイク専門クリニックで技術や美容医学を習得し、現在勤務するクリニックの開設準備に携わり、現在に至ります。
【人生最大のピンチ】
ピンチというよりは人生の転機と自分では捉えている出来事は、子供3人連れての離婚でした。
子どもには辛い思いはさせない。
必ず手料理を食べさせる。
家族一致団結し笑顔で過ごす。
を心に必死な毎日で、今考えてもどうやって乗り越えて気持ちを保ってこれたのか、我ながら不思議な気持ちになります。
私の原動力は家族の力、子どもの笑顔に勝るものはないと今でも思います。
【一番嬉しかったこと】
子供たちが3人仲良く成長し成人してくれたこと。
笑いが絶えない家庭が築けていること。
お母さんみたいな看護師になりたいと3人が看護の道を目指してくれたこと。
忙しいながらも何より子供たち心身の健康を優先に考え、毎朝5時30分に起床し、温かい朝ごはんを食べさせ、お弁当を持たせました。
朝の短い時間の中で、食卓を囲み家族と会話して表情を見る大切な時間だと思っています。
健全な精神は健全な肉体に宿る。
その健全な肉体は安全な食べ物からだと考えているからです。
そして今、自分の夢に向けての時間を歩めている幸せを感じています。
【これからの夢&目標】
大好きなアートメイクは私の天職だと思っています。
今の技術に満足せず、国内外のアートメイク仲間との情報交換、海外の講師の講習にも参加して、常に技術と情報をアップデートしていきたいと思っています。
お客様には、SNS等での耳触りの良い情報に飛びつかず、施術者の技術の差や質を症例からも見極めて頂き、アートメイクを見る目を肥やして頂きたいです。
そして後悔のないアートメイクを選んで頂きたいと心から思います。
お客様の綺麗になりたい想い、長年のコンプレックスを解消できるようにお手伝いさせて頂き、お客様の喜びや笑顔をたくさん感じていたいと思います。
プライベートの夢は、孫が出来た時に三世代で旅行に行くことです。
美保さん、お忙しい中ありがとうございました。
美保さんが“天職”と言うアートメイク、その実例が美保さんのSNSアカウントで拝見できますので、興味のある方は要チェックです。
施術例を2つだけ引用紹介させていただきましたが、美保さんのSNSで紹介されている実例写真には、必ず【副作用・リスク】が明記されており、顧客に対する誠意を感じざるを得ません。
そして、美保さんと同じ医療現場の世界に飛び込んだお二人のお嬢さんと息子さんのトピックも時々登場する美保さんのSNSアカウント、ご家族のお幸せを末長く見守りたいと思う方も多いのではないでしょうか。
来年の4月、私たちと同じ50代になられる美保さんのさらなるご活躍を期待して本日の美人さん紹介とさせていただきます(50s.online編集部)。
「今日の美人さん」企画では、写真の掲載についてはご本人様からの了承を頂いております。画像・動画の無断使用は禁じられていますのでご注意ください。