元祖リケジョのシングルマザー内藤理佳さん「偶然の出来事をチャンスや好機に変える5つのスキル」

内藤理佳

私たち世代の“リケジョ”の代表格である内藤理佳さんはシングルマザー。娘さんが5歳になる前に離婚してからは、一人親として家庭と仕事にと奔走されてきましたが、その娘さんも無事に大学を卒業して社会人となり、現在は理佳さんをサポートされているとのこと。

そんな理佳さんに、これまでの人生を振り返っていただいて同世代や次世代にメッセージを寄せていただきましたので、ぜひご一読ください。

内藤理佳

キャリアコンサルタント
マリッジアドバイザー
きものアドバイザー
着付士
日本所作協会インストラクター
しぐさ美人メソッド講師

昭和40年(1965)11月16日生まれ
東京都豊島区在住

幼少期

両親の第1子として、都内で生まれました。
大きく生まれた割には体が弱く、5歳で大病して入院したことがありました。幼稚園で受験勉強を始め、私立の小学校に合格しました。

そこは神奈川県の湘南海岸近くにある女子校で、電車通学しました。海から寄せる潮風がからだに合っていたのでしょう。片道1時間弱の通学でもほとんど休むことなく、元気に過ごすことができました。

ピアノを弾くのが好きで、小学校時代に夢中になったスポーツはドッジボール。そしてクラブ活動の放送クラブで、お昼の放送をラジオ番組のように流したり、運動会や音楽会などのイベントで本部に陣取り放送を担当したりしていました。

小学校3年生(9歳)の時、私にかわいい妹ができました。

その頃、サラリーマンの父は転勤となりましたが、私立に通う私を転校させられないと、父は単身赴任生活を始めました。この後、10年以上父の単身赴任が続きました。

平日は母と幼い妹、私の女性だけでの生活。子どもながらしっかりしないと、といつも自分に言い聞かせていました。

青年期

大学は自宅から通える理系大学に合格しました。

アルバイト先のファミリーレストランで出会った友人の影響で、オフロードバイクでアウトドアキャンプの楽しさを知り、大学時代はお化粧やファッションなどとは縁遠く、バイトと車、バイクに夢中でした。

それでも卒業後は、白衣を着て化粧品の研究がしたいと思うリケジョになっていました。

そして研究室の教授推薦で、無事に念願の白衣を着る仕事に就くことができました。医薬品開発のお仕事の始まりです。

結婚、出産そして離婚

趣味のオフロードバイクツーリングで知り合った5歳年下の男性と26歳で結婚。

仕事を辞めて、27歳で長女を出産しました。そして娘が5歳になる前に、夫とは離婚しました。

離婚した時点では、娘が幼稚園に行っている間だけのパートタイムしかしていなかったため、離婚後は娘を保育園に入れて、もう少し長く働く勤務体系の製薬会社に転職しました。

転職に際しては、当時の転職先内での「バツイチで子持ちの女に仕事が務まるのか?」という心ない言葉によって一度は不採用の判定になりながらも、その後、敗者復活したとのことです。

朝一番に保育園の門の前で、朝番の職員出勤を待って娘を引き渡し、仕事が終わるとすぐに保育園に向かうのですが、たいてい娘は一人ぼっちか、あまり言葉の通じない外国籍の男の子と二人だけで、母親の帰りを待っていました。

毎日がそんな状態なのである日、私は保育園の園長先生(女性)に呼び出され

「子供のことを思うのなら、母子だけで生活せずに実家の親元に帰って子供の面倒を見てもらったら?それが親のあるべき姿です。私もそうやって親に支えてもらって仕事を続けてきたから今の姿があるんです」

また、ある時は

「子供の幸せのために、フルタイムの仕事でなくコンビニのパートタイムでもやればいいのに。少しでも長く子供と一緒にいてあげることが母親の愛情です」

と言われ、私のことだけでなく私の両親のことまで否定されたような気持ちになり、何度か心が折れそうになりました。

また、同じように職業を持つ女性に対して彼女が否定してきた言葉にはどうしても納得がいかなかったので、園長とは卒園まで一切の会話をせず、卒園式後の懇親会にも出ずに帰宅しました。

シングルマザーの生活

娘が小学校3年生の時、東京都内の中古マンションを購入。

母子二人で引っ越し、そこから徒歩で通える医薬品開発支援業務を行う会社に転籍しました。

娘の通う小学校はマンションと同じ敷地内にあり、13階の自宅のバルコニーから校庭で遊ぶ娘の姿が見える環境にひと時の幸せを感じました。

けれど、シングルマザーで育児と仕事の両立は大変でした。

仕事が多忙を極めて毎夜午前様になるし、治験のシステム開発プロジェクトでは、夜勤環境でテストを実施。

その上、小学校のクラスでPTAの役員を押し付けられ、体はボロボロでした。

そんな中でも、マンションのお隣さんは私の両親と同じくらいの世代のご夫婦で、私たち親子の話し相手になってくださり、たまにお食事を一緒にするほど親しくしていただいたことが救いでした。

転職

そして高校大学と、娘の進路を検討する段階になって、実家の両親や妹と話をしていた時、ふと母と妹が、私の娘はかわいそうだと。

今の私の収入では高校までは何とかなるかもしれないけど、国公立ならともかく、大学進学は諦めて就職しないといけないね、というのです。

結婚して専業主婦だった時期もあり、その後の何年かはパートタイム勤務や契約社員のような形でなんとか生活をつないできた私の収入は、同期で正社員としてずっと仕事を続けていた女性たちとは相当の差があったのです。

しかも娘には、収入のある男親がいないわけだから、娘の進学費用を母たちが心配するのも無理はないのです。

ここでもういっちょ、母さんはがんばらないとねと、当時の製薬業界で有利な資格をアメリカに行って取得。

その資格を持って、現在も籍を置いている企業に転職しました。

転籍当時は、仕事多忙で休日も仕事を持ち帰り、出張続きで疲労困憊に不眠と辛い日々もありましたが、なんとか娘を4年制大学に通わせるだけの収入を得ることができました。

その後、社内異動で社員の育成に関わる部署に異動。

数々の研修を企画運営し、キャリア開発、組織開発業務に携わってきました。仕事をしていく上で今後役立つことがあるだろうキャリアコンサルタントの国家資格も取得し、現在は社員のキャリア相談業務にも携わっています。

きものとの出会い

娘が高校3年生になった時、呉服屋さんから成人式振袖のパンフレットDMが何通も送られてきました。

ここまでシングルマザーでがんばってきた私です。振袖を着て成人式を迎える娘と一緒に、私もきものを着て写真を撮っておきたい!と思いました。

娘の振袖を選びながら、私自身が着る訪問着も一緒に選んで購入しました。

訪問着と袋帯、長じゅばんなど一式購入したものの私は自分できものを着たことがなく、どうしたものかと考えました。

幸い、成人式の年までは少し余裕があったので、そこからきものの着方教室に通い始め、記念撮影の準備はOKとなりました。

きものを着る楽しさを知った私は、この後、どんどん“きもの沼”にはまっていくのでした・・・(笑)

父の死、そして不動産オーナーに

私が48歳の時、大好きだった父が心不全で亡くなりました。

その年の正月の3日「俺もうだめだ・・・体が動かない」と実家の父から電話があり、すぐに入院。

2か月後の3月3日に旅立ちました。身近な人の死を受け入れるって辛いですね。父が遺してくれた都内の古いアパートを相続し、私の不動産オーナーの道が始まりました。

偶然のできごとをチャンスや好機に変える

きものを着ることが趣味になり、きものが似合う場所にでかけたり、パーティに参加したり、お食事に行ったりしているうち、将来はきものに関わる仕事に就きたい!と本気で考えるようになりました。

そして展示会などで和装の知識と技術をもって、きものをステキに着こなす「きものアドバイザー」という職業を知り、さっそく調べてきものアドバイザー養成所の門をたたきました。

フルタイムの仕事をしながらでしたので、1年弱かかってその講座を修了し、自らが「きものアドバイザー」になることができました。

また、アドバイザーをやりながら、きものをひとに着つけて差し上げる「他装」も学び、着付士としての活動も開始しました。

そんな中で、きものを着るだけでなく、きものを着る時の姿勢や所作の大切さを実感していきました。

美しいきものを、さらに美しく見える着かた、ふるまい、マナー、そして流れるような動きを身にまとう。

選ばれた女性たちが、品格と華やぎのステージを歩んでいくため、日本所作協会インストラクター、しぐさ美人メソッド講師としての活動も行っています。

振りかえってみると、周りの人たちから直接あるいは間接的なさまざまなサポートを受けて、今があるんだなぁと思います。

客観的にみれば、波乱万丈な人生をひたすら必死になってやってきた、ってことなのでしょうけれど、どんな小さなことだってその出会いや経験が、今の自分を作っている気がします。

キャリア開発の理論の一つに、「ハップンスタンス・ラーニング・セオリー(計画的偶発性理論)」というものがあります。

「ハップンスタンス・ラーニング・セオリー」とは「偶然のできごとは人のキャリアに大きな影響を及ぼし、かつ望ましいものである」という意味であり、キャリアコンサルタント養成コースで学びました。

つまり、「偶然のできごとをチャンスや好機に変える」こと。

人生で遭遇するさまざまなできごとのそのほとんどは、自らが計画したことではなく、偶然と感じることから必然と感じられることまで、予期せぬできごとが占めています。

その偶然のできごとを"自分にとって望ましいキャリア(振り向いてみたら自ら歩んできた軌跡)の機会"とするために、5つのスキルを身につけることが大切だと、私は実感しています。

最後に、この5つのスキルをここに書いて私のストーリーを終了します。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

「偶然の出来事をチャンスや好機に変える」5つのスキル

①好奇心(Curiosity):新しい学びの機会を模索する
②持続性(Persistence):失敗に負けずに努力し続ける
③柔軟性(Flexibility):姿勢や状況を変える
④楽観性(Optimism):新しい機会は必ずやってきて、それを自分のものにできると考える
⑤リスクテーキング・冒険心(Risk-taking):結果がどうなるか見えない場合でも行動を起こす


理佳さん、お忙しい中ありがとうございました。

理佳さんがインストラクターを務めている一般社団法人日本所作協会の公式サイトはこちらになります。

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理佳さんが日々想うことやきものについて情報発信されているSNSアカウントはこちらになります。

理佳さんにご提唱いただいた5つのスキル(好奇心・持続性・柔軟性・楽観性・冒険心)は、私たち世代がこれから迎える老後の生活の中で、非常に重要なポイントになるのではないでしょうか。

このような気付きを与えてくださった理佳さんに心から感謝するとともに、これからも理佳さんの動向に注目していきたいと思います(50s.online編集部)。

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所作インストラクターしぐさ美人和装家、👘しぐさ美人✨和装家。IT企業の人材育成、エースタッフ所属きものアドバイザー、国家…

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