2023年3月22日にご紹介させていただくのは、柔道家の中橋治美(なかはし はるみ)さんです。治美さんは女子61kg級の選手として国内外の大会で優秀な成績を収めていましたが、惜しくもアトランタオリンピックの代表選手の座を逃し、その後は後進の指導をしながら幼児教育の分野にも進出。
その他にもラジオパーソナリティーや企業のアンバサダー、それに着物モデルと年齢を重ねるごとに活躍の場を広げている治美さんにこれからの目標を伺いたく、経歴を含めて手記にまとめていただくことが叶いましたので、ぜひご一読ください。
尚、治美さんにはWikipediaが存在しておりますので、そちらと併せて書いていただきましたので予めご了承ください。
柔道家・中橋治美のこれまでの歩みと「中橋メソッド」の可能性
昭和48年(1973)8月16日生まれ。4300gの大きな赤ちゃんで幼稚園でも力の強い女の子でした。三人兄弟の末っ子で2番目の兄(政彦も柔道家|Wikipedia)に鍛えられ、弟のように育ち自分の名前を言うのに「僕ちゃん」と言っていた。
小学校入学式では、男の子と取っ組み合いの喧嘩をするなど、まだ柔道に出会ってない頃から、その気質と才能は十分にあった。
実家は中橋産業を経営している。柔道は兄の影響で10歳の時に坂出柔道協会で始めた。坂出中学から高松商高に進むと、1年の時に全国高校選手権61kg級で2位となった。3年の時には全日本女子柔道強化選手選考会で3位に入った。
福岡大学へ進むと、2年の正力杯では決勝で埼玉大学4年の北爪弘子に敗れて2位だった。3年の時には拓殖大学4年の宮家江美を破って優勝を飾った。世界学生では決勝で韓国の鄭成淑に技ありで敗れて2位だった。団体戦でも鄭に敗れて3位だった。なお、学生時代は柔道選手とは思えないファッションセンスを発揮した着こなしで、学校では一番目立つ存在だったという。
1996年に大学を卒業してダイコロ所属となると、選抜体重別ではあさひ銀行の北爪を技ありで破って優勝した。しかしながら、国際大会での実績が乏しいことなどを理由にアトランタオリンピック代表には選出されなかった(この階級は今大会3位だった住友海上の恵本裕子が代表に選ばれたが、その恵本に対して「選考の結果を気にしないでください」と手紙を書いて気遣った。恵本はアトランタで女子初の金メダリストとなった)。
続くアジア選手権ではまたも鄭に敗れて2位にとどまった。その後階級を57kg級に下げると、1997年の福岡国際では決勝でキューバのドリュリス・ゴンサレスに効果で敗れるも2位となった。一方で、現役時代の一時期、野球の福岡ダイエーホークスのチアリーダーを務めていたこともあった。
引退後の2002年には選抜体重別48kg級の初戦でトヨタ自動車の谷亮子が土浦日大高校2年の福見友子に効果で敗れて連勝記録が65で途切れたのを見て、谷のトレーニングパートナーを買って出た。彼女のためなら何でもしてあげたかった、さらなる高みに到達してほしかったからだという(谷が2004年のアテネオリンピックで2連覇を達成するまでパートナーを務めて、その精神的支柱ともなった)。また、福岡ソフトバンクホークスの甲藤啓介が自主トレーニングを行った際にはその指導も受け持った。なお、2003年から10年ほど福岡大学女子柔道部の監督も務めた。
2012年から現在において九州旅客鉄道女子柔道部強化アドバイザーを務める。2013年にはロンドンオリンピック57kg級金メダリストの松本薫などが所属するフォーリーフジャパンの監督に就任した。
2015年にはフォーリーフジャパンの柔道部が廃部となったことに伴い、ベネシードが新たに設けた柔道部に松本とともに移り、監督に就任した。2016年4月から現在においてアオバジャパン・バイリンガルプリスクール全キャンパスのフィジカルエデュケーションディレクターに就任した。
出典引用元:中橋治美 – Wikipedia
41歳で出産し、息子が生まれ成長するにつれて育てづらさに悩んでいたところ、発達障害と診断され運動好きな息子が体操教室で怒られる姿を見て「ワクワクする声がけが出来ればもっと能動的に動けるのではないか」と考え、子どもたちの目線に立って声がけをし、ルールを理解し楽しみ勝負することで、身体が発達するように共育する中橋治美が考える「スポーツ保育」という考え方に、柔道で学んだ「心・技・体・脳」を合わせた「中橋メソッド」が誕生した。
父(中橋治彦)が設立後、休眠会社となっていた株式会社ア・ル・クを2018年に復活させ、社内起業家として「中橋メソッド」の出前授業・出張授業を開始した。
2022年4月より渋谷クロスFMママ夢ラジオパーソナリティーを務める。
6月には全国より選ばれた女性起業家 21人として「自由を手にした女たちの生き方図鑑」に掲載。オリンピック連覇を支えた柔道家が子育てに奮闘。世界に通用する子どもを育てたい思いがつまった「中橋メソッド」の誕生秘話を執筆した。
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12月「ミセスなでしこ日本」と呼ばれる着物のコンテストの全国大会で香川県代表として出場しSNS部門で1位、会場投票でも1位となり最優秀特別賞を受賞する。
香川県の高級ブランド「はざまいちじく」のアンバサダー、その他にも企業のアンバサダーや着物モデルを務める。
●人生最大の喜びとピンチ
息子が生まれたことが最大の喜びで、ワンオペだったために最大のピンチも訪れる。
本当に分からない事だらけで、寝れずにへとへとになりながらも日々の繰り返しに学びを感じ、ピンチが訪れるたびにいつしか「人間が試されている」と冷静に思えるようになり、「出来ない事を知る事がチャンスだ!」と優先順位をつけて次の行動へと移すことが出来るようになってきた。
楽しく困り事を話す事で次々に助けてくれる人や仕事に繋がった。
8月に50歳になるが、やっと最近なりたい自分に心身ともになってきているなと思える。
●これからの夢&目標
国の再構築補助金事業に「Eラーニングを使った中橋メソッド」が採択され、資格発行で「スポーツ保育才能開花フィジカリスト」認定講座が2023年6月以降にスタートする。対象は養育者、保育関係者、保育施設関係者、幼児体育指導者。
その他、幼稚園・保育園で子どもたちにさまざまな運動遊びをボランティアで授業をし「目線の合わせた声がけをすることで子どもたちが能動的になる運動遊び」の活動も今後さらに続けていく予定。
また、幼児対象だけではなく「相手の目線で話すことができたら世界平和は必ずできる!」を合言葉に社会貢献活動をさらに続けていきたい。
治美さん、お忙しい中ありがとうございました。
治美さんが今現在、その情熱を注いでいる「中橋メソッド」の詳細が分かる公式サイトはこちらになります。
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今年の夏に私たちと同じ50代になられる治美さんには、ぜひ同世代のニューリーダーとしてさらに活躍してほしいと願い、本日の美人さん紹介とさせていただきます(50s.online編集部)。
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