2023年1月5日にご紹介させていただくのは、石川県小松市にお住まいの吉田由紀子さんです。
由紀子さんは地元の音楽大学でピアノを専攻され、卒業後は音楽教室の講師として活動されていましたが、今現在は鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)の普及と指導に力を注いでいらっしゃる方です。
どのような紆余曲折があってピアニカにたどり着き、これからどのような目標をお持ちなのかをぜひ教えていただきたく、由紀子さんに経歴を含めて手記にまとめていただきましたので、ぜひご一読ください。
音楽講師 吉田由紀子
●経歴
幼少期からとにかく身体を動かすことが大好きで、近所を自転車で走り回っては日暮れまで帰らず、よく母親が探しに来ていました。
ピアノを始めたのは小学校1年の頃ですが中学、高校になると部活(バレーボール)に熱中していました。
音大に進んだのも、特にピアノが好きだったというより勉強したくないという程度の理由でした。
音大を卒業してヤマハ音楽教室の講師になり、その頃は生徒数も多く毎日忙しくしていました。
その後、結婚を機にヤマハの講師を辞め、自宅で子育てをしながら数人の生徒のみレッスンしていました。
私の転機は、いつも息子に関わることでした。
未熟児で産まれた息子は発達が遅く、色々なリハビリが必要でした。歩き出したのも3歳になってから。
病気がちで何かと入院することも多く、音楽を楽しむ余裕などその頃は全くありませんでした。
後に娘も産まれて、息子の発達もゆっくりながら同学年の子供に追いつくようになってくると、レッスンを少しずつ再開。
私にとっても自分の子供達以外と関わるレッスンの時間がとても大切なものとなりました。
そこから、レッスン以外にも自身の演奏会も再開したり、ラウンジピアニストとしての仕事も年間100ステージ以上をこなすようになりました。
そんな中、再び息子が何度も腸閉塞を繰り返すようになり、症状も重くその都度1ヶ月以上の入院と手術。
毎回痩せこけて帰ってくる息子の体調管理などで、再び音楽の仕事をセーブせざるを得ない状況が何年か続きました。
そんな時に鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)を演奏する機会があり、ピアノとは違う魅力にすっか魅了されて時々演奏するようになりました。
息子の入退院の繰り返しの中で正直 音楽に関わる仕事は辞めてしまおうと思っていましたが、たまにピアニカを演奏することがとてもいい気分転換になっていました。
自分自身も疲れ切った状況の中、私のラウンジでの演奏で癒やされたという方からお手紙をいただき、こんな私でも誰かを癒やしたりすることができるのかも、と思うようになりました。
息子も音楽をしている時の私が一番楽しそうだと。
そのタイミングで、ピアニカが大人に人気になってきているということや、演奏することでアンチエイジングに関する効果があることも分かってきて「ピアノ以外にピアニカも教えてみたら?」というお話をいただきました。
私の中では「ピアニカを教える」という考えはそれまで全くありませんでした。
でもピアニカを教えるというより、同年代のこれから第2の人生を楽しむ方々と一緒に音楽を楽しみ、これを生甲斐にしていけたらと思うようになり、ピアニカ指導に関する講習に参加しました。
まだまだピアニカは子供の授業用の楽器程度の認識が根強く、今はその魅力を伝える活動をしている最中ですが、少しずつ共感してくれる方も増え、この春から募集を始めた大人の生徒さんも40代から80代までの7名の方に集まっていただいています。
私の今後の目標は、ピアニカ、ピアノなど音楽というツールで色々な方と繋がって一緒に演奏したり、演奏を聴いてもらうことで心豊かな瞬間を作っていけたらと思っています。
追記です。
息子の腸閉塞は10年近く続き、毎年(酷いときは毎月)の入院を繰り返し日常生活にも支障をきたしていましたが、3年前に専門医の先生と出会い手術を受けたことで、奇跡的に通常の健康体に戻ることができました。
この間、息子の成長や回復に関して主治医の先生始め、多くの方の励ましや癒しをいただきました。
私の今後の音楽活動は、そんな方々への恩返しの気持ちも込めていきたいという想いです。
由紀子さん、お忙しい中ありがとうございました。
由紀子さんはご自身のSNSアカウントでも過去の経験等について書かれていますので、ぜひご参照ください。
「色々な方と繋がって心豊かな瞬間を作っていきたい」
由紀子さんの素敵な想いと言葉を読者の皆さんに改めて強調して本日の美人さん紹介とさせていただきます(50s.online編集部)。
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