吉岡なおみさんはフリーランスの四柱推命鑑定士として活動して10年目。天然石の販売も

吉岡なおみ

2022年7月20日にご紹介させていただくのは、フリーランスの四柱推命鑑定士として活動されている吉岡なおみさんです。

高野山派真言宗のお寺さんの長女としてこの世に生を受けたなおみさんが、どのようにして四柱推命にたどり着いたのかをぜひ教えていただきたく、その半生を含めて手記をお願いいたしました。

四柱推命鑑定士 吉岡なおみ

●経歴

昭和48年(1973)9月7日生まれの48歳です。

生まれは大阪の南部にある和泉市です。

幼少期は小児喘息やアトピー性皮膚炎などの持病を抱えていて、母に連れられて様々な病院を点々としているような、か弱い(笑)子供でした。

私には二つ年下の妹が居るのですが、虚弱体質の私とは違い、とても活発で運動もできて子供ながらにとても羨ましいと思っていました。

そんな元気な妹だったおかげか、両親は私の事につきっきりだったように思います。

当時、食事にしても何を食べても良いという訳ではなく、食べるものによっては喘息の発作やアレルギーが出てしまいまって。

そんな境遇からか、元々自立心が強かったのか、慣れ親しんだ家から自立を目指して家を出ました。

とにかく自立したい!と言う気持ちが強かったです。家の実家はわりと考え方が古風だったので、それが自分には何よりしんどい事でした。

そして結婚し出産。そこから1年目の冬に『阪神・淡路大震災』が発生しました。今まで経験した事のない揺れを感じました。

それからの2年は、当時神戸と西宮に住んでいた義姉家族が我が家に戻ってきていたので、1日何回も洗濯機を回して、ご飯も何人分作っていたか忘れてしまうほどに多忙でした。

そして育った環境がまるで違う旦那さん。勿論考え方も全然違います。
 
知らぬ間に相当ストレスを溜めてしまっていた私は、パニック障害を発症していました。

この時は乗り物に今までのように気軽に乗ったり、遠方へも出かける事がとても苦痛になっていました。

それからは人生最大のピンチと言うべく、日々パニック障害との闘いでした。

自由に外出できなくなった私は、仕事に就いてもやる気があるのに、睡眠不足から体力が続かず、仕事が一年続いたら良い方。

子供の頃から何か生きづらさがあった私は、娘が高校へ進学したのをきっかけに、四柱推命という東洋占いに出会い、スクールに通いながらそれを基盤に独学を行う日々が始まりました。

占いはどちらかと言うとあまり興味がないタイプだったのですが、勉強するごとに陰陽五行の奥深さに惹かれていきました。

そして2012年の春、フリーランスの四柱推命鑑定士として活動し始めました。

自分自身の宿命星が占い師などのサービス業の他に、販売なども向いていたので天然石を扱った仕事も始めるようになりました。

それからたくさんの方に支えられながら、現在もフリーランスの四柱推命鑑定士として活動しております。

●これからの夢

夢は今でもそうなのですが、全国各地から自分を頼ってお越しくださるような占い師になる事。
自分が苦労した事を無駄にはしたくないので、クライアント様に寄り添える占い師を目指しています。頑張ります!


なおみさん、お忙しい中ありがとうございました。

なおみさんはご自身のHPでも経歴を含めてその想いを書かれていますので、興味のある方はぜひご参照ください。

そして、こちらがなおみさんのSNSアカウントになります。占いや天然石の情報以外にも同世代に向けた美容や健康にまつわる情報を積極的に発信されていますので要チェックです。

なおみさんは九星気学で言うところの「九紫火星」とのこと。

秀逸な判断力や先見性を備えていて美的感覚に優れていると言われる「九紫火星」ですが、その代表格であるなおみさんの活躍を当編集部ではこれからも追い続けたいと考えております(50s.online編集部)。

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